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本当の望み(欲)と向き合う
ってタイトルで書き始めたけど、簡単なようで難しくしてしまう。
簡単に色んな情報が手に入る時代になり、手に入るどころか勝手に目に入ってくる。
人の発信するあれこれを目にして、人に言われたことが自分の望みのような気がしてくる。
どうやって本当に気づけるのか。
探っていきましょう。
私の胸にはポカっと穴が
表現すると人それぞれ違うと思うけど、本当にやりたいことが分からない時とか、納得できていない時、満足感が得られていない時って、だいたいこんな言葉で表せるのかと思います。
何かが足りないような気がする。
足りないような気がするので、美味しいものを食べることに走ったり、買い物に走ったりします。ポカっとする気持ち悪さを、即物的なもので補おうとするのです ね。
だけど根本そこじゃないから、いつまでたっても満たされない。
何なのか自分では分からないから苦しい。
みたいなことが自分にも起こっていました。いや、継続してるかも笑。
望みの肯定
自分と向き合うっきゃない。
生活面では今すぐどうにかしないと来月食べられません、というわけでもなく、家族仲が特別悪いというわけでもなく、でも何か違うんだよなあと感じてしまう。
こんなこと人に言ったら、「贅沢な悩み!」「幸せなのを分かっていない!」なんて諭されそう。だから人に相談することも出来ない。モヤモヤモヤ…
持ってはいけない感情である、贅沢な悩みであるとフタをする。
自分くらいは自分が抱えている感情を全肯定してもいいじゃありませんか。
感情や欲求があるのが人間。
贅沢をしたかったから、人は発展してきた。
誰かが望んだ贅沢が、今の世の中を作ったのではないのかなと思います。
じゃあ望みや欲望って、人類の発展にめちゃめちゃ貢献してるってことなんです。
欲で良くてよ
清貧が正解、みたいな価値観は薄まってきたように感じますが、「贅沢な悩み」のような感覚はまだ結構あるのかなと思います。
本当は叶えたいけど外からの目が気になるから、「贅沢な悩み」とか言っちゃうのかなって思いました。
悩みの根っこは、全部自分の欲のためだって私は思います。
夫婦、子供、友人、仕事、病気、あらゆる悩みや望みは、自分中心に起こる。
中心である自分を良く生きたいから欲が生まれる。
「欲」って書くと、何だかマイナスのイメージが湧いてきますが、読みは「良く」と同じだなって、書いていて気づきました。
欲は良く生きるためのお知らせのようなものかも知れないと思ったのです。
自分の欲は人のため
欲を否定せず素直に従って行動することは、自分を良くするってことです。
即物的で満足度が継続しないものは、ダミーの可能性があるところは注意点です。
その不足感の根本を探すことをおすすめします。
私は根本を探しています。
自分のために生きて良いってことが分かりました。
そしたら自分は幸せであると気づきました。
幸せなんだからこれ以上望んではいけないが出てきました。
だけど何かしたいが出てきました。
この何かしたいが自分をさらに「良く」する「欲」なのかなと思っています。
今この世に存在するものって、誰かが諦めず強欲に行動したものが形になったものだと思うのです。
そのおかげで世の中が豊かになりました。
過去できなかったことが、簡単にできるようになりました。
人が空を飛ぶなんて、馬鹿げている発想でした。
離れた場所にいる人と会話するなんて、無理だと思われていました。
でもどうしても空を飛びたかったから、どうしても離れた所にいる人と話したかったから、叶えようとした。
それらは今当たり前のように実現して、人の生活に欠かせないものになっています。
結果として多くの人の役に立つものになっていますが、「鳥みたいに空を飛んでみたい」っていう、メルヘンな発想がスタートかも知れません。
欲を良く使う
自分の欲を否定するってしんどいです。
欲ってことは、本当に叶えたいことなんだし。
本当に叶えたいことは叶うようになっているし、叶えば良くなるから叶えて良いんです。
自分の欲だって人の役に立つという希望を持って、その欲叶えていきましょうよ。