動けない自分を愛す。
やりたいことがあるのに。
なのに「動けない!」
ってときは、「動けない 」という現象に
「焦る」→「自分を攻める、否定する」
がセットで発動していないか?
私たちは毎日体温を測ると
ある一定の波(バイオリズム)があるし
睡眠だってバイオリズムがある。
動ける、動けないというのも
バイオリズムの中で生まれている
現象にしか過ぎない。
そして、このバイオリズムは十人十色でしょ。
だから、人それぞれこの波の深さや波の幅が違うからね、
人と比べて「動けてる」「動けていない」って
判断するのも違うし
逆に人が判断するのも違う。
動けるバイオリズムの中にいる時は、
同時に視野が広がるので
自分をジャッジすることがあまりないけど、
動けないバイオリズムの中にいる時は、
視野が狭くなり、ジャッジする視点が自分に向く。
だけど、動けない時期は、
そのバイオリズムの中にいるだけで
私の価値も何も変わっていない。
変わらず私のままなのだ。
動けない自分もそのまんま愛せばいい。
「愛す」と決めればいい。