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"アイデンティティ"についてディスカッションするということ

中国の国際的アーティストシャオクゥ×ツゥハンさんと、Osaka Project の皆さんと"アイデンティティ"についてディスカッションする貴重な時間でした。

なかなか、いろんな国の人や、日本に住む外国人、海外にルーツを持つ方と深くアイデンティティについて語り合うことって私は今までなく。

「わたしって何なんだろう」

と改めて、多くの方が自分の中で向かい合っているんだなと感じた。

今回はたまたま、アーティスト、クリエイティブなことをしている方が多かったこともあって、そこで共通することは、その自己への問いが表現や創造のエネルギーになっているということ。

私も海外に住み仕事をしていた時の海外での違和感。
その逆に、日本への違和感。
これは自分への問いと、発想して行くことへの
種になっています。

●●の国が良い、悪い。
日本が良い、悪いではなくて。
表面上をジャッジすることではなく、国がというより、国という枠でとらえず、人としての「わたしたち」という目線で、もっと創り広げられるものがある気がする。

ある10代のハーフの女の子が、
「私は日本にいても日本人と見られないし、
父方の国に行っても外国人扱い。
私は何人だろう?
と考えることから始まった。」

ということを言っていたんだけど、
今後世界ではこういう状況の割合がとても増えると思う。
当たり前の世界になってくると思う。
これは、ハーフだけじゃなく、海外で生まれ育った人達もそう。

だから、人にも国境を引くのでなくって、国単位でグルーピングしなくていいよね。
って今日、本当に感じた。

今日は英語、日本語、中国が混じる合う中、言葉が通じなければ、わかる人が自然と同時通訳してくれてちゃんとコミュニケーションできる。
今日もこうやって語り合えるわけだから。

これは国の問題だけじゃなく、
病気や障害も同じだと思う。

こんな事を日々思っているけど、私はまだまま、大小たくさんの偏見を持ち合わせています。
これは無意識なものもあります。

今日感じたことは、
「偏見」って直接コミュニケーションしていないから、勝手に自分の中で作り出した思い込みだけで、コミュニケーションを持てば、その偏見は理解に代わる場合が多い。

色んな背景を持つ方とアイデンティティについてディスカッションすることは、私の人生にとってもとっても豊かな事だ。

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