新卒でJICA海外協力隊を選んだキロク『南米のおへそ』から『アフリカの真珠』へ
前回からけっこうたってしまいましたが、お愛嬌っっ
今は既にアフリカのウガンダに来て、1か月がたとうとしています。
最近は、JICA事務所で今後2年間に向けて宣誓を行う時間があったり、ウガンダの社会問題の構造の大まかな部分が少しずつ見えてきたりして、考えることがとっても楽しいです。考え続けられているという点だけでも、ここに来れて良かったっ!と強く感じる毎日!
で、いろいろ考えていたらそういえばNote全然更新してなかった、と思い出しましたので、この勢いで頑張って書こうと思う次第です!
大学選びは、「学生のうちから国際協力に!」
前回の記事の最後、こう締めくくらせていただきました。
はい、上記の通り!
「国際協力」のワードしか知らないあんぽんたんな高校3年生の頃の私、とにかく国際、海外、国際文化、国際関係、国際社会とかそういう言葉を検索しまくって大学を探していました。
国際協力と一口に言っても、インフラ、農業、平和構築、保健衛生、スポーツ…もう分野が多岐にわたりすぎているのです。何なら、世界のどこかで起こっている何らかの問題に何らかの手段でアプローチすることは全て国際協力と言えるわけで。
私はここに関しての知識がなく、自分はどういった「国際協力」に従事していきたいのかというところを考えることができていませんでした。
ただこの業界に興味を持ったのが、前の記事に書いたような中東情勢だったので、「国際関係学」や「国際社会学」といったそれっぽい学部を中心に探していました。(ちなみに開発学という言葉は知りませんでした)
また、日本の大学には国際協力関係を学べる大学の母数がとても少ないこと等も関係して、大学選びはかなり難航しました。
最終的に志望した大学は学部の名前にも学科の名前にも「国際協力」のコの字もないようなところだったのですが、
「学生のうちから途上国の現場に行き、国際協力の現場を感じ取れる」
ことを売りにしている(私が勝手に売りだと思った)ゼミに魅力を感じ、ここを目指そう!と決めました。
それなりに受験勉強を頑張り、合格を頂けたのですが
どういった手段をもって「国際協力」に従事していきたいのかはまだまだ決まっていない状態でした。
「カメラが好きな男の子」との出会い@パラグアイの農村
そんなこんなで、大学に入学。
実は学科全体が国際協力を学べるというわけではなかったので、日本の社会問題についても広く学びつつ過ごしていました。学科の系統的には社会学になります。
私のお目当てのゼミでは、協力隊OGで開発人類学者の教授が学生たちを指導してくださっており、大学2年生時に教授の赴任国だった南米のパラグアイ共和国に渡航できるプログラムがありました。しかし、2020年の新型コロナウイルスの影響により、パラグアイに行ける目途はなかなか立たず。
つらい受験期間を乗り越えたにもかかわらず、パラグアイどころか大学にも行けず、本当に苦しい期間が続きました。しかも国際協力!!を学びたがっている学生は、同学年のうち自分を含めせいぜい2,3人。本当にこの大学に来たことは正しかったのだろうか、と悶々とした日々を送っていました。
たま~に泣いたりもしてましたっっアセアセ。
そして月日は過ぎ大学3年生!
国際協力の現地に行ったこともなく、就活が始まってしまいました。
この時私の国際協力に対するモチベーションはかなり下がってしまっていて、というか諦めの境地に達していて、就活も広告や人材や、それなりに興味のあることで探していました(社会学をやって、日本社会の問題に目が向いていたのもあります)
しかし、大学3年生の5月だったか、6月ごろだったか。
ゆるっとぬるっと、行けるかどうかわからないけど…というようなぬるっとした感じで、2年ぶりのパラグアイ渡航のプログラムがゼミにおいてスタートしました。
本当に行けるのか!?と疑心暗鬼のまま参加し、どうにかお金をやりくりし、ついについに、念願のパラグアイに行けることになりました。!!!
そしてこの経験が、今の自分を突き動かす原体験のようなものを与えることになります。
パラグアイ渡航のことを書くと脱線しすぎるので、またどこかでまとめられたらナ~
ちなみにこれがゼミで書いてた渡航ブログっ↓
今年も後輩たちがパラグアイに行っています。
パラグアイでは、スラムを訪問したり、農村でのこどもたちとのアクティビティをしたり。JICAと大学が連携している草の根協力プロジェクトの式典に参加させていただいたり、村の女性たちとワークショップを行ったり。
当時所属していたNPO学生部でのフェアトレード事業では、女性たちから伝統工芸品の発注・買い取りなど、様々なことをさせていただく機会に恵まれました。
そんな中で、とても心をうった男の子との出会いがあります。
赤土のぼこぼこ道をがたがた揺れてたどり着く村に住んでいる男の子です。
渡航前、私は「パラグアイの子どもたちは集中力がない」「人の話を聞けない」「ルールを守らない」などの話を聞いていました。
しかし、そこで出会った子供たち、特にその男の子は全く違いました。ペットボトルを使ったロケットの実験では、なんでペットボトルが飛ぶのかずっと考える。コマ遊びを教えたら、ひたすら巻き続ける。私が持っていたカメラを興味深く見ていて、教えてもいないのに自分でトライ&エラーして、パシャパシャ写真を撮りまくる。何分も、何十分も、何時間も。
この男の子以外の子どもたちも、私たちの言ったルールをきちんと守って声掛けをしあったり、譲り合いをしてくれました。もちろんごみをポイ捨てしたり、わがままな部分を見せたりもしていました。突然やってきたアジア人の私たちにだからこそルールを守ってくれた側面もあるのかもしれません。ただ、この経験は子どもたちの可能性の大きさを強く感じるきっかけになりました。もしこの子たちがこの先、新しい色々なことに触れ、考える機会に恵まれたなら、どんな大人になっていくんだろうと、でこぼこ道をかけていくこどもたちを見ながら考えました。
と同時に、この村の子どもたちが持つ選択肢が少ないのもまた事実。
家業を継いで、農家になる子も少なくないと思います。
農家になること自体が悪いことだとは思っていません。
(むしろ私は、貨幣経済!資本主義!金を稼いでナンボ!カネカネカネ!!の精神で、森林が破壊されて画一的な都市開発が進む、といった開発はなんかさみしいナ~と…利便性は追及していいと思いつつも、農村は農村の良さを残しながら人々の選択肢の幅が広がるような開発が理想だな…とかぼんやり思ったりしています。めちゃくちゃエゴかも)
けれども、やっぱりお金がないとできないことも多いし、もしあの男の子がカメラを買いたいと思っても、買う余力はなかなかない。もしカメラを買ってもカメラマンとして生計を立てていくのは難しい。そんな選択肢の少なさが容易に想像できる。
農家になること自体はかわいそうなことではなく(というより、私たちにそれを決める権利はない)、それが彼の選んだ結果なら一つの豊かさ。
もっと豊かさをプラスするならば、農家をしながらカメラを趣味で楽しむ彼の未来の姿があってもいてもいいのではないかと思いました。
でもそういう将来を描くにはいろいろな問題が複雑に絡みすぎています。
私が訪問した村には、教授の活動で小学校が作られていて、こどもたちは学校に通うことができていました。けれどその先はどうなるんだろう。
お金がない、学校に通えない、通い続けられない、就職困難、どうすれば、どこから手を付ければいいのだろうか。
(これはウガンダにも、他の開発途上国にもあてはまることだと思います)
ある人は女性支援に、ある人は食に、ある人は人材育成に方向性を定め舵を切る。そしてそれぞれが専門性を深めていく。
何か一つのことにアプローチして構造全てが劇的に良くなることなんて夢物語でしかありませんが、この選択肢の不足に、いったいどの分野から切り込んでいくべきか…というより、「私は」どの分野から切り込んでいきたいのか、納得できるのか、分かりませんでした。
突然就活をストップ、迷宮へ
多くの素敵な出会いと、考える機会に恵まれたパラグアイ渡航。
なんとなく就活をしていた私ですが、「国際協力に従事したい」という思いが、改めて、本当に本当に強くなりました。
そしていったん就活をやめました。
決まっていたインターンをすべて蹴り、髪を染め、誕生日に突如ひとり旅に出たり、とんでもなく忙しいが故に大学3・4年ではとるべきではないと噂の、JICAと大学連携の集中講座をとったり。(余談ですが、これがかなりよく、課題の特定や解決策の立案など、実際に途上国で実施されているプロジェクトに関する必要な考え方やプロセスを学ぶことができました)
今思うと後先考えないオイオイオイ…という行動でしたが、とにかく一旦すべてをリセットしてもう一度ゆっくり考えなおそうと思っていました。
国際協力業界へのキャリアプランはこれといった定石のようなものがありません。新卒ですぐにこの業界に飛び込む選択肢も非常に少ない。後は、将来的に草の根レベルで活動したいのか、国際機関レベルでインパクトのあることをしたいのか。もうわけわからん。とにかくまずは、最初の一歩を考える必要がありました。
当時の私にぱっと浮かんできた大学卒業後進路の候補は、
・大学院進学(国内or海外)
・開発コンサルやNGO、JICAなどの組織に就職チャレンジ
・一般企業に就職※ただし、のちのち国際協力業界で生かせそうなスキルが身につきそうな企業に入る
・自主留年か休学するかして半年程度海外でボランティアをする
・協力隊
このうち、どれを選ぶか?というところをしっかり考える必要がありました。
問題としては、前述したように私が学んできた学問は国際協力のエッセンスをかいつまんできたもので、例えば開発学とガッツリ言えるような感じでもないような気がするし、どのような切り口でどのような問題にアプローチしていけばいいのか(そこに私が納得できるのか)も定かではなかった。
学んできたことは総まとめすると貧困解決に関わるものですが、自分の中では貧困=お金の不足ではなく、貧困=お金を含む様々な選択肢の不足、だったので、そんなこといったらどの問題に従事していきたいの!?となり、最早私の頭の中ですら切り口が分からないような状況。もうワケワカメです。デュエルスタンバイです。
大学院進学を考えても、自分の研究テーマを今決めていいのか?という葛藤があり(もちろんお金の問題や現場経験を積んでから行きたいという思いも)、一度は本気で決意したもののやめる。
休学や自主留年は大学制度上の問題や他の活動との兼ね合いもあり断念。
次に就職を考えます。
国際系の組織は、新卒で入ることはかなり難易度が高いと言われています。いろいろ散漫している今の自分がそこにいる姿が想像できないという思いもありつつも、少し就活を再開しました。
一般企業就職コースも就活を少しずつ再開しましたが、後に「国際協力業界で生かせそうな経験。スキル」ってなんだろう…私はどんな切り口で生きていきたいんだろう…というモヤモヤがずっとつきまとう毎日。どんな経験もスキルも何かに繋がっていくだろうけれど、「今」決めることができない。やっぱり妥協である気はずっとしていたし、面接でも自分が嘘を言っているような気持ちになっていました。
(正直、点と点をつなげるのは自分。そして、おかれた場所で動いていくうちに見つかるものもあると思われるが、この時はドツボにはまっており本当に頑固モードになっていた)
とにかくカオス!!!!
自分の未来の選択肢も当時の時点で減らしたくなかったんだろうな~と思います。何かを決めるということは、必ずしも他の何かを捨てるということを意味するわけではない。けれども、せっかく決めるなら、他の何かが選択肢として浮上してくるものを選びたいという強欲。
大学教授や院の先輩や周りの国際協力業界の人々や、いろいろな人に話を聞きまくってそれはそれは悩みました。ちなみに上記の就活は、年明け頃から少しづつ再開していました。
とにかくこの時期は周りもどんどん就活していたので焦っていたのもあるし、考えれば考えるほど意味わからん状態になっていた気がします。もうちょっと肩の力抜けばよかったのに。
今考えたら、どの道をとっても不正解なんてことはなかったと思う。でも、自分の性格上どこでも楽しさやりがいを見つけてしまって、あのパラグアイで持った情熱に二度と戻ってこれないんじゃないかという気持ちもありました。
この時私が持っていた思いは、今だからこそ簡単にまとめられるけど、これです。
もう訳が分からないから、きちんと開発学を学びたい。
もう訳が分からないから、私が寄り添いたい人たちが、何を思ってどうやって生きているのか、知りたい。現場に行きたい。
JICA青年海外協力隊への応募
どんな流れだったかはもう覚えていません。
ただ、もう協力隊だそう!と思いました。ハイ!これです。
もう訳が分からないから、現場に行って、私が寄り添いたい人たちが、何を思ってどうやって生きているのか一緒に生きて知って、私が納得できる寄り添い方、支援の方法のヒントを見つけられたらいいな!
という結論です。
何を選んでも結局すべての経験やスキルは何かに繋がっていく(自分が繋げていく)だろうし、おかれた場所で動いていくうちに見つかるものもある。
のならば、今無理に何かを決めてその場所で数年過ごすより、自分が一番行ってみたい場所、現場に挑戦してみようと。
ずっと頭の片隅にあった協力隊。
大学1年生当初は2年間で何ができるんだ!とか何も知らないアホウドリみたいなことを考える側の人間だった自分。
とにかく訳の分からない状態でいるより、飛び込んでみなきゃわからないんだからと思って、もう出そうと決めました。
何よりほかの選択肢は、何かとデメリットを考えてしまうことが多かったのですが、協力隊に関しては「受からないかもしれない」ということくらいしか自分の中でも辞退要素がなかったような気がする。噓盛ったかも。しかしとにかくこれが一番納得できたのです。
協力隊と言ったって何かしらの分野を「今」「決める」ことには変わりないのですが、ある程度自分の裁量権を持って活動できる点をフルに活かせれば、自分自身の選択肢の数を減らすことにはならないだろうと思っていました。
新卒で合格することが難しいというイメージが先行していましたが、幸い周囲に協力隊合格者もいたため、いろいろと相談しながら応募の準備を進める。
職種は悩んだものの、自分の興味のあること(=人)、自分がやってきたこと、できることを総合して考えると、青少年活動を第一希望に。
学問とは別のところでアルバイトでずっと子供と関わってきていたこと、そしてパラグアイでの胸を打った経験も子供の存在が大きいことで、納得して選ぶことができました(しかもこの要請はコミュニティ開発要素もあって、かなり私の興味関心・やってきたことにマッチしていました)
特にこれ!!と簡潔明快に明言できる学問を学んできたわけでもないし、専門性!!と言えるものを持っているわけでもないけれど、世界の見方と考える視点と、とにかく想いだけはある!という気持ちで準備をしたのを覚えています。
訓練中にも自分の強みは何なのか、専門性って何だろうとなんども自問自答し、落ち込んでいた。
でも、私のよくわからない経験も考え方も視点も、私だけの唯一無二のもので、大学で学んできたことは絶対に無駄ではない!!と今は強く思います。
とにかく考え続けられるこの環境に身を置いてよかった。
学生の頃は問題を目にしても自分に継続してできることには限りがありましたが、今は2年間そこに関わっていけるんだ!!と何か奮い立つものがあります。
人見知りだし言語も自信ないし、なにより新卒ピヨピヨであることに変わりはない。不安もたくさん。想いだけで実力も経験も伴っていない。
正直に言うと、不安65%、ワクワク35%くらい。
でも結構幸せ、楽しい。赴任が少し楽しみになってきました。
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