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貧乏は心の病

いま、貧乏なのだなあと感じる。「わたしが」ではなくて、状態が。
今週は週3で働いてきた。ずっとニートだったことを考えたら、上出来だ。めちゃくちゃがんばったじゃないか。でも、夜眠れなくて、イライラふらふらしたまま労働するのはけっこうつらい。

ああ、疲れたな。
生理前で、体が重くて、なんとなく気分も最悪だ。温泉いきたい。岩盤浴で横たわって、じわぁってなりたい。なんか、体に優しいさつまいもやかぼちゃのあったかいスイーツとか食べたい。カラオケいきたい。つーか今、クナイプのラベンダーのお風呂に浸かりたい。

ああ、わたしは貧乏なんだなあ。自分を養えなくてかなしい。体や心のほしいものを与えてあげられなくて不甲斐ない。
2年前に恋人と別れるまで、わたしは5年間彼と一緒に住んでいた。恋人は10歳以上も年上の人で、わたしを養ってくれた。生活のために働かなくてよかったし、いつでも好きなものを好きなとき買えた。わたしは甘やかされた子どもみたいに際限なく恋人に求め、彼はそれにできる限り答えようとしてくれた。
だけど結局、彼がどんなに尽くしてくれても、わたしの心はちっとも満たされなかった。
どうしても不満げなわたしに、いつか、恋人は言っていた。「じゃあ俺は一体どうしたらいいの?」そんなのわたしが聞きたかった。今思えば、母にされてきたことを、わたしはそのまま、恋人にしていたのだ。


恋人と住んでいた時に趣味の関係で知り合った、2歳年下の女の子のことを思い出している。彼女は、自由に使えるお金があまりなくて、いつも、ほぼすっぴんだった。家族がクズで、体がしんどくてあまり働けないのに、実家には頼れないといっていた。
友だちは多い子だったけど、交際費を抑えるために、一緒にごはんに行くときは一番安いものを選んでいたり、または「ごめん、ちょっといってくる」と女の子一人で牛丼屋へ消えたり、涙ぐましい努力(忍耐)をしていた。

お金を持っていたのは、わたしではなく彼なのに、まるで自分がお金持ちかのように錯覚していた。というか、彼を父親のように思っていて、「彼女にもおごってあげて」と頼んだりしていた。彼女を少しでも助けてあげたいというのは建前で、わたしは、貧乏くさい忍耐を目の前でされることに耐えられなかったのだ。例えば、一緒にガストに行ったとき、「わたしは水でいいから」と頑なに水ばかり頼まれると、なぜかこっちまで我慢させられているような気持ちになった。

ある時、恋人が出張で彼女(aとする)がよく使っている駅周辺に行くというので、恋人とa、二人でごはんを食べることになった。aが恋人に手を出すような女の子じゃないのはわかっていたし、わたしはaにおいしいものを食べてほしかった。
aはとても喜んで、わたしに、とても無邪気なお礼のメールを送ってきた。たまにメンヘラになって、長文のメールを送り付けてくるけれど、基本的には無邪気で、とてもピュアな子だった。

わたしは、aとの距離感を誤った。aになんとか元気になってもらいたくて、その長文メールに、まるでカウンセラーのような返事をした。「つらいのに、言ってくれてありがとう」などと聖母感を出した。次第にaが長文メールを送ってくる間隔が短くなり、しかも、噂によると、誰彼構わずにメールを送っているらしい。こいつ、ダメじゃん。わたしは思った。メンヘラはメンヘラにきびしいのだ。
「自分で自分を支えられなくなったら終わりだよ」わたしの中のババアが、灰皿にタバコを押し付けながら言った。それは、その時、わたしが、わたし自身に対して痛烈に思っていたことだった。恋人がいなきゃ自分の生活も支えられないわたしなんか、終わったも同然だって。

恋人とaの悪口をいった。恋人は、前にご飯行ったとき思っていたんだけど、と前置きしてから続けた。「こっちがご飯奢ってんだから、すっぴんでくるのはどうかと思うわ。せめて化粧ぐらいしてほしい」
わたしは若さや、かわいいかどうかは知らんけど、細い目を必死に二重にして、カラコン入れて、不細工な自分を必死に隠して、連れて歩いても恥ずかしくない女の子になろうと努力し、そうやって自分をみんな売り渡して、そして生活の面倒を見てもらうべく、彼の恋人になった。
そんな恋人の後ろに隠れて、お金がなくても趣味を楽しもうとしてるaを馬鹿にした。「貧乏くさくて、みていられない」といった。
忘れていたけど、恋人に出会う前、わたしは大学を中退して、一人暮らしのフリーターをやっていた。実家には絶対に帰りたくなかった。帰ったら死ぬと思った。

わたしもaとまったく同じように、無気力で体が動かず、ギリギリの体力で、週4バイトしている、どこにいっても何をしても、いつもお金の心配に心を掠め取られる、貧乏な女だったのだ。もう二度とあの場所に戻りたくない。その思いから、わたしは恋人に媚び、彼の後ろに隠れて、貧乏で無気力な自分を心の隅に押しやってきた。
ごめん、a。
わたしは、本当はあなたのことを(正確には、あなたに映ったわたしを、)見下していたのだ。わたしはもう貧乏になりたくなかった。もう、あの場所に戻りたくなかった。

大学を中退し、バイトもうまくいかず、パートのおばちゃんにめちゃくちゃ嫌われて、聞こえるように悪口いわれて、やけくそになって飲めないお酒を飲んで泣きながら眠った、あのぐちゃぐちゃの6畳の部屋。
ストレスで、廃棄するはずのお菓子を鞄に詰めるだけつめて持ち帰り、家に帰ったら、1リットルコーラで胃に流し込んでいた、あの荒んだ生活。わたしは、心から、もうどうしようもなく貧乏だった。貧乏は、心の病なのだ。


いま、わたしにはかろうじて家においといてくれる(精神的には限りなくクズの)家族がいるし、一人でネットができるわりと広めの部屋もある。それに、かろうじて、体の感覚がある。それに前よりも、喜びを受け取ることができるようになった。

バイトが休みの日、わたしは、コンビニでカフェラテとスフレチーズケーキを買って、海の見える広い公園で食べる。それだけで、なんだか心がふわっとして、幸せな気持ちになる。そういう時、実際にお金がないという事実から離れて、わたしは豊かになる。
いまは、これからもっと幸せになれるという希望を思い描くことができる。ほんとうにね、貧乏とは、お金がないという状態ではなくて、すべてに絶望した、あの心の状態なのだ。


ああ、びんぼうだなぁ。
恋人の付属品をやめて、また無気力貧乏に戻ったわたしがつぶやく。
彼は決して悪くないけれど、どんな豪華なディナーに連れて行ってもらっても、夜景を見ても、わたしはいつも地面から浮いていて、存在が迷子だった。
これは、諦めなのだ。
どんなに遠くまで逃げようとしても、けっきょく自分自身からは逃げられなかった。
いま自分自身を生きてること、わたしはとてもうれしくて、誇らしい。


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