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9.17 準備中と心づかいと魂のバトン。

10月からの東京勤務に向けて、なんとなく準備すべきことが多くばたばたしている。

まずは送別会。今週は綺麗に毎日飲んでいる。最近は飲む機会が減っているのでアルコール分解力が減っているのか、やはり相当翌日に残るようだ。

そして今日はマイナンバーカードを取りに行った。今まで申請していなかったのだが、この機会に申請することとした。予約が出来たつもりで行ったら、予約失敗していたようだ。だが椅子にすわって予約がないことをいわれたが、もう座っていることもありなんとか対応してもらった。申し訳ないことをした。最近でも別の例があったが、WEBでの申し込みで最後の確認を押していない場合がたまにある。これはひとつの学びであろう。

文学において、最も大事なものは心づくしというものである。心づくしといっても君たちにはわからないかも知れぬ。しかし「親切」といってしまえば、身もふたもない。心趣(こころばえ)。心意気。心遣い。そう言ってもまだぴったりしない。つまり「心づくし」なのである。作者のその「心づくし」が読者に通じたとき、文学の永遠性とか、あるいは文学のありがたさとか、うれしさとか、そういったようなものが始めて成立するのであると思う。
(太宰治『如是我聞』)

内田樹先生が引用されていたものの孫引きである。

作者がその作品を作る時の心づくし。これはいいかえれば「おせっかい」のような部分もあるかもしれない。自身のコアの部分を惜しみなく突っ込む。別に強制されてはいないが、読んだ人の一部のこころのどこか(それを「琴線」と称した感覚は素晴らしいと思う。反応し、自らが自らの音を発することだからだ)に間違いなく届く。そんなところが作家が作品を作ってしまうところの大きな理由で、あるのだろう。

(池田晶子さんは「魂のバトン」という言葉で表現されていました)

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豆象屋
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