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9月21日 傷ついた思い出は、残る。

意思もまた、ひとつの孤独である。

アルベール・カミュ

子供時代は、いまでも思い出すが、外界とどのように関わるか、の戸惑いの日々であった。

基本的に、外界は侵略してくる、主に“他者”という形で。

安らぎに留まれぬのであれば、ではどのように守り、生きてゆくのか。

言葉にしていなくとも、そのことが一番のテーマとしてのしかかった。


動物である人間は、特に幼少期は生来の資質により”社会的に”生きる。

ああ、めんどくさい。


それを避け続ければ、”親が心配する”。

心配は、させたくないではないか。


自然、自分の防衛力と戦略を、選び、高めるしかなかった。

大人になるとは、傷つくことであり、「やむなく」傷ついてゆくことを受け入れることだ。

技として、物語の中に逃げ込んでいた。
だが、それだけでは、逃げ切れまい。そう思っていた。

カミュは言った。意思を持つことは孤独であると。

そこまでの意思はもってこれなかった気がする。
たぶん、孤独を恐れたのであろう。

(我が魂は、あんまり強くはないようです。。今までのことで覚えているのは、主に傷ついた出来事ばかりですね)

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豆象屋
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