![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/155081500/rectangle_large_type_2_fdb26947857125602f80ab3c4df3e783.jpg?width=1200)
Photo by
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック / メトロポリタン美術館
9月21日 傷ついた思い出は、残る。
意思もまた、ひとつの孤独である。
アルベール・カミュ
子供時代は、いまでも思い出すが、外界とどのように関わるか、の戸惑いの日々であった。
基本的に、外界は侵略してくる、主に“他者”という形で。
安らぎに留まれぬのであれば、ではどのように守り、生きてゆくのか。
言葉にしていなくとも、そのことが一番のテーマとしてのしかかった。
動物である人間は、特に幼少期は生来の資質により”社会的に”生きる。
ああ、めんどくさい。
それを避け続ければ、”親が心配する”。
心配は、させたくないではないか。
自然、自分の防衛力と戦略を、選び、高めるしかなかった。
大人になるとは、傷つくことであり、「やむなく」傷ついてゆくことを受け入れることだ。
技として、物語の中に逃げ込んでいた。
だが、それだけでは、逃げ切れまい。そう思っていた。
カミュは言った。意思を持つことは孤独であると。
そこまでの意思はもってこれなかった気がする。
たぶん、孤独を恐れたのであろう。
(我が魂は、あんまり強くはないようです。。今までのことで覚えているのは、主に傷ついた出来事ばかりですね)
いいなと思ったら応援しよう!
![豆象屋](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/40270723/profile_57ed6a135aa85ba608a18d74309b546c.png?width=600&crop=1:1,smart)