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8.16 言葉が意思と関係なく出てしまうことの恐怖について。

さて、表題の件、とくに依り代になって霊のことばを口走る、といったこととは違う。

この盆休み、毎年旅行になんとか”万障繰り合わせて”(笑)行って来たが、今年はいろいろな条件もあり名古屋にいる。

まあ、それはそれなのだが、運動不足にもなるので、できるだけ家のまわりをうろちょろ歩いている。

一昨日であったか、割と家のそばの交差点の信号を渡っていると、激突音が聞こえて振り返るとちょうど小型車が横転してゆく瞬間であった。こういう瞬間は不思議なもので、多分意識が瞬間過集中するのだろう、スローモーションのように映像が脳裏に刻まれる。

仰向けになるかと思ったが、縦に高い軽自動車(たぶんモコ)であったので、横向けでとどまった。

ちょうどガソリンスタンドの前で、有人スタンドであったこともあり、人が走ってかけつけた。近くにいた人も走り寄る。一瞬躊躇したが、私も横断歩道を斜めにわたり向こう車線へと向かった。

気が付くと、パトカーが2台ほど来た。警官が横転した車体の上に上る。私ともう一人がモコの扉を開ける。今考えると不思議ではあるが、鍵はかかっておらず、こちら側と向こうから二人でドアを開けて支えた。ガラスは割れていない。

中から顔が見えたのは、70歳半ば以降と思われる痩せたおばあさんであった。ショック状態なのか、特に言葉は発しない。中央のコンクリート部に比較的低速でぶつかって横転したようだったので(横転してゆく様子を見るとほとんど横向きで前には滑っていなかったので)出血等はないようだ。

ここで驚いたのは、ちょっと顔をまじまじみることは敢えて避けたのだが、いわゆる野次馬という体の(声からするとこちらも70歳以上か)男性老人が気の抜けた声で「なんだ婆さんか」「ひっぱりあげろ」などとのんびりした声でいっていたのだ。

いや、「なんだ」は無いだろう。事故で困っている人の属性は関係がないだろう。

そう思った。

「婆さんか」ならいい。なぜ「なんだ」なのだろうか。

気の抜けた声色も相まって瞬間「イラッ」とした。


私はいわゆる「公共の場」で例えばレジの人間を怒鳴り散らしているやつ、あからさまにルールを破っている人間を見ると、瞬間的にカーっとなるところがある。だいぶ収まったと思っているが、これは性格であろう。

だいたい相手は微妙な人が多いので、アクションを起こすのは危険であるだろう。こちらの気持ちも高ぶっているので、冷静な言葉は出ないだろう。もちろん感情的になれば「母国語」である神戸の言葉が出るだろう。

正確に見るなら「正義感」ではないだろう。この感情はなんだろうか。あたかもそういう人間が自分を対象としているような気がしての防衛意識のような気がする。なにかを守るための逆攻撃といった感じである。

まあたぶん、DNAが関係しているのだろう。他人ではなく、自分の内のなにか(多分安心のようなもの)を守るために、DNAが反応している感じがする。

飛躍するかもしれないが、この感情が戦争を呼ぶのかもしれない。自分のうちの何かが侵略されれば、それを守るためにどんな手段ででも抵抗する。それがいけない、いい、という判断は困難だ。

だがそういった感情の正面衝突は、さらなる争いの拡大にもありうる。だが非抵抗では自らに属するものが失われる。

古来多くの生物が対面してきた、存在の危機への対応。

はたして正解はあるのだろうか。

(とても難しい問題ですね。。それらの争いを通じて社会、組織、司法、民主主義、といったものが発生して来たのでしょうね。。あ、タイトルと中身がずれていました。タイトルで考えたのは、多分その高齢男性は前頭部の脳が萎縮して、社会性やコミュニケーション力が衰えているのだろう、ということでした。。)


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豆象屋
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