日記11月10日。 #日記
今朝はコートを引っ張り出した。
昨日、セーターを今季初めて着た、と書いたばかりであるが、昨晩スポーツセンターで約1時間20分ほど主にフリーウェイトを行ったのち、センターから駅一つを歩く中で、風の冷たさを実感し、明日はコートかな、と思って帰宅したのがコート出陣の理由である。
見ると、薄手のコートやジャンパーを羽織った人が多いようだ。新聞でも今日は通年より寒いと書いてあったので、コートはどうやら正解のようだ。
新聞といえば、今日の新聞で、作業着がかっこわるいので、スーツに見える作業着を提案し、作成、評判がよかったので、それを売るアパレル会社を作り社長になった、という方の記事を読んだ(読売新聞)。
昨日の日記で、なんとも作業着がかっこ悪くていやだ、ということを書いたのだが、記事によるとスーツ的な作業着は通常の作業着の3倍の価格だそうだが、水道系の会社だった同社は、スーツ作業着の効果か、人材確保に苦労していたのが、応募者3倍になったともいう。
この日本で、新卒での入社はいわば人生の選択である。結果的に合わないで転職、ということも多かろうが、できればブラックではない、自分に合った会社で働きたい、と思うのが普通なのだろう(この”普通”の語は他人との比較や、集団のなかで”目立たず過ごす”という意味を含むので、使用は難しい言葉だが)。
そこで、作業着がスーツに見える、それだけで、個人的には同じ仕事をする水道会社2社を選ぶ立場に私がもしいれば、まちがいなくスーツ的作業着の会社を選ぶだろう。なぜか。人が作業着を着た時に思う気持ちに寄り添った会社である、と感じるからだ。
スーツでいること、これは大多数がスーツでいる(この大多数、という語は意識して選択していますが、いろいろ含んだ意味になりますね)会社員の世界に、すくなくとも服装面ではエントリーして生きることだ。スーツが許されない会社、スーツ姿を妬み、羨み、そういう自己心理を感じ毛嫌いするような生活ではない、ということだ。そこでこじらせているのは非生産的だが、結構本質的なところでもある。いわゆる本音、愚痴、の世界だろう。
同氏は同じく人事部の無かった会社に二人で人事部を作って、評価の仕組みなどを導入した、ということだが、これもまた働く人の本音の気持ちに寄り添った行動だと思う。
やるべきことがあるが、金がない。金がないから、そういう人材を雇えない。雇っても、仕組みをシステム化できない。
こういうことがさまざまな会社で多くあるのだろう。それは事実だ。しかし例えば作業着、例えば人事評価の仕組み。これは金がないからできない、という会社の方針が働きながらしみじみ実感できるとしたら、仕事のモチベーションは絶対に上がるわけはない。”仕事だからしょうがない。中小企業だからしょうがない”という残念な気持ちが基本の日々となるだろう。
金がない、ということは実は本質ではない。経営者にやってやる気がない。つまりは従業員を基本的には”自分の使用人”と思っているのである。
いや、意識していない方が大勢かもしれない。経営者が思っていなくとも、従業員が思っていれば同じことだ。使用人、とはその生死与奪権を自分が握っている、と思っている人たちのことだ。
もちろん、それが責任ということでもある。社員の給与のためすべてを擲つ方もいるだろう。それはそれでいい。だが、日々の生活であれば。
わかりやすく、人事部があり、評価制度が明確であり(個人的恣意に左右されない可能性がすくなくともある)、人の気持ちに寄り添ったスーツ型の作業着を作り支給する。
そのように想い、行動する社員を応援し実行する会社、
そういう会社はなかなかいい会社なのではないだろうか(いや、別にスポンサー記事ではありませんが汗)。
そこでは人は、人の下に居る使用人ではなく、一人の主体的な働き手に、なることができるであろうから。