4月13日 トラブルは書き出して意識の上に出しておく。虫のしらせを無視しない。
ということを勝間和代さんのメールで学んだ。
これは確かにそうで、心の中でもやもやとアラームが鳴っているときに、そんなことはない、という風に心を無理に動かすと失敗することが今までの人生で多々発生した。そんな感触がある。
このことは「虫のしらせを無視しない」というボケた表現もできるだろう。
深層心理や経験から、これはやばい、ということはけっこうなにかをやる瞬間に感じるものだ、と個人的にも思ってきた。このことを言語化していただいた、ということだろう。
いつも思うが、この勝間さんの言語化力は素晴らしい。言語化されることで目の鱗がおちてゆくわけだ。
このようなことは、我が日々の生活でも頻繁に起きており、たとえば、この動きをすると卵を下に落とすかな、と思う行動を続けていると下に落としたり(今までに2-3回あった)、あまりにいそいで(空腹のあまり)がつがつ食べていると舌をかんだりしたりした。舌はあまりに噛みすぎていつも血まみれ、今や変形してしまっている。「あまりがっつくと舌を噛むかも」という意識があったのに。
こうした虫の声たちをきちんと引っ張り出して意識化する、意識化するのに最適なのは「言葉にして書きつける」ことだとおっしゃる。
あるときロバート・ハリスさんの「人生の100のリスト」を読んで、そのあと自分なりに100のリストを作って書き出してみた。都度見直すこともやったりしたが、今になって見てみると形を変えたり、規模が小さくなったり、ということもあるものの、目標としたことと似たようなことがあれ?実現しているやん??となっている項目が多いのだ。
人生の100のリスト (講談社+α文庫)
人生の100のリスト (講談社+α文庫)
作者:ロバート・ハリス
講談社
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これなども言語化することで、潜在意識のすこし上までやりたいこと、願望が浮かび上がって来るのあろう。そこからそれをやりたいがどうしたらいいのかという心のアンテナが立つ、役に立つことが見つけやすくなる、というようなメカニズムである気がする。
そうした目標は決して人に見せるべきではないだろう。密かに胸に「チェリッシュ」して、目指すのが重要だろう。そういえばチェリッシュと今度なくなるお菓子の「チェルシー」はなにか関係あるのだろうか。
人に見せることで、見せた人に気づいてもらおう、という雑念が湧いてしまう。自分のためだけのために、深く静かに沈潜して進む。犀のように、という感じが一番いい気がしている。
(チェリッシュにしろ、カールにしろ、懐かしさだけではお菓子は続かないんですかねー)