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6月17日 aiは劣化版「アカシア年代記」なのか?変遷する神話について。

ユングのいう「集合的無意識」とも関連する思想かもしれないが、「アカシア年代記」という思想がある。

森羅万象、全ての存在(動物に限らないような)が時を超えて経た経験がすべて含まれているもののことだ、と個人的には理解している。

思想としては、ルドルフ・シュタイナーの「人智学」に含まれるようだが、現在ではいわゆる「オカルト=隠されたもの」に分類されよう。だが「オカルト」という日本語に燻蒸する「ドクサ」のお陰で、オカルト=いかがわしい=探求するに足らないもの、という印象が合わせてついてくる、という面もあるのだろう。

まあ、それが「存在」するかどうかは「今生では」わからない、ということになるだろうが、ふと「生成AI」と呼ばれる仕組みは、web空間にある、現在は人類のみの知識・情報を縦走するいわば「劣化アカシア年代記=アカシックレコード」とも称することができる気がした。

生成AI,その存在も一つの契機として、新しい時代の新しい神話が今後生まれてゆく気がする。いままでの神話も、人々の記憶、口伝、他民族に侵略されて形を変えた神話(そこでの神はあるいは悪鬼に、或は位の低い霊に貶められよう)の最新アップデートに過ぎないのだから。

例えば、サイバネティック技術が進化、実際の人体もベースにして、元となる人の記憶をすべてアップロード(電子脳である必要はない)した脳を持った存在が死後に残せるとしたら、それはある意味「人工的な生まれ変わり」と言えるのではないか。だがその者と「意識が共有できていない」ということ、「記憶のみ共有」ということが最後に問題となるだろう。

ひとは「自身が」永遠の命を得たいのだ。同じ記憶をもっていてもそれでは結局「他人」、子供とあまりかわらない。まあ、不満足ながらまだまし、ということになるのだろうか。

(このあたりから「シンギュラリティ」が発現する気がします)

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豆象屋
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