3月19日 体調回復。フッサールの「他我」。
今朝の体重64.4kg、体脂肪6.8%。
とにもかくにも、熱が下がったようでありがたい。
私は体温が低いようで、(ついでに脈拍も60代後半)、なんというか冷たく冷静なSPECであるようにも思えるが、どちらかというと猫好き、動物好きのベタベタマインドだと思っている。
なので、熱があるとどうにもしんどい。歯の腫れも落ち着いてきたので、あとは花粉症か。これは最近10年くらいはなかったはずなのだが、やはり体調が悪いとアレルギーも出やすいのだろうか。
食欲がない、というのも久し振りだ。食べ物もそうだが、飲み物もあまり飲みたくない。一人で暮らしていると心細いものだ。とりあえずはBASE BREADを食べ、プロテインを飲み、野菜入り味噌汁は食べるようにしていたが。
普段薬をあまり飲まない。ロキシニンを1週間ばかり飲んだが、それで胃が痛くなったのか。これも普段は胃よりも腸にくるタイプなので、けっこうきつかった。とりあえずビオフェルミンと宮入菌を飲んだところ、すこし落ち着いた感がある。
だが、歯が痛くなったおかげで、会社近くの歯医者を知り、これは歯周病やばいですよといわれて通うことにした。歯の磨き方も教えてもらった。乳歯が2本残っているということを知った(1本と思っていたが)。
なんでもきっかけだ。禍福はあざなえる縄のごとし、ともいいますしね。
昨日の引用のすぐ後の部分の引用である。他我を認めるとは、あるいは自分と他人の境界を無くそうとする試みであるともいえるだろうか。認識が自分の体のように隅々まで届かないが、この世界と、自分は一体である、と感じる思想。そこで、「人間」以外のいわゆる「被造物」をすべて含んでしまえば、うまく考えられない、無限に広がる宇宙の行き先、といういわば無理筋の思考実験のようなものさえ、わからないもののまま範疇に入ってくる。わからないが、無限の中ではいつか「分る」こと。この「分る」はもともとわかっていたことが、改めてわかること、と池田晶子さんも説明されていた。
全体から「分かたれた」知識。そもそもそうであることは、別に人間に、理解されずとも存在している。
(死んでも納得できそうもないけれどもそうであること、といったような扱いでしょうか)