4月1日 合田佐和子展へ行った。
昨日、三鷹市美術ギャラリーで開催中の合田佐和子展へ行った(これを書いているのは 3月23日、開催は26日で終了)。
世代が上なので、例えば文庫本の表紙や雑誌の表紙などで合田作品を見ることはあったが、例えばそのひととなりを週刊誌などでリアルタイムに見て知っている、ということはなかった。
外国人の映画俳優の顔を、独特の質感のある筆致で印象的に描く画家である、というイメージがあるだけであった。
だがインスタやツイッターなどで多くの美術家や画家の皆さんが、独特の感想をもってこの展示に行かれている、独特とは「この展示に今行っておかねば」「行ってみたらなんともBIGな印象を受けた」などという、どちらかというと魂レベルの感想だ。
まがりなりにも私も少し絵を描く(というか版画を作る)わけで、同じく物を創作されている方の感想はなんというか、より身に迫って感じるようだ。
それはたぶん、「自分も似たような感想を得るだろう」という予感、といってもいい。
ということで、なんというかその制作姿勢、みたいなものを拝見しに行こう、という感じで行ったようだ、今分析してみると。
結果、非常に感銘を受けた。
土佐に生まれ、地元の名門中高一貫校である土佐中学・高校を出ている。土佐中学を調べてみると、少し古く2019年の実績だが、約300名の卒業生から現役で医学部に15人入っているのを見ても、偏差値も69-64である点を見ても、県で一番の学校ではないだろうか。1947年から男女共学というのも先進性がある。
そういった学校を出たこともあるだろう、なんというか合田の初期作品を見てもものおじや遠慮みたいなものがいい意味で感じられない。
初期のビーズ人形にしても、人面蛇にしても、実際の人体(女性)をかたどったという石膏像にしても、変な意味での媚びがない。
いや、媚びがいいとかわるいということを言いたいのではない。媚びるような性格ではない方だったのだろう、ということだ。
そうおもっていろいろネットを見ていると、2017年に出版社「港の人」から刊行された合田佐和子さんの文章82本を集めた本「合田佐和子 90度のまなざし」の展示会にて、巖谷國士氏が合田を評している言葉に出会った。
私が作品から受けた印象とつながっている。2人の子を抱え、シングルマザーとしてお金がなく、多摩美デザイン科卒であったため油彩を描いたことがなかったが画材店で聞いて購入した3色で油絵を描き始めた人。
とにかくその作品の、目と鼻に目がゆく。そして私は絵とは目と鼻と口がすべてだ、と思っている。
やはり印刷されたものより、実際の油彩の迫力はすごい。光を放ち、飛び出して、いや、飛びかかって、くるようだ。
時間が遅く、最後は駆け足となった。だが実際の作品を一度見てしまえば、展示カタログから受ける情報量も各段に変わってくる。あとからゆっくり見ていくことにしよう。
そして機会があれば合田の文章にも触れてみたい。
(本気で生きて、創作したひとはやはりすごいですね)