
11月15日 孤独とコミュニケーション。
食べるために生きるか、生きるために食べるか。
あらまほしきは後者だが、ともすれば前者に陥っている、それが我が生であるのではないだろうか。
なので、折に触れ池田晶子さんの本などを読むと、日々の生活が恥ずかしくなるのである。
食べるために生きるのであれば、手持ちの金が少なければ、動かなくなる。
生きるために食べるのであれば、食べて健康を目指して、その結果”生きる”ことになるのだから、その生をすこしでも充実させようと例えば散歩して、運動して、本を読んだりして、時にアウトプットする。
アウトプット、いまはこうして毎日日記と称して駄文を書くのと、エスキースと称して落書きを描きつつ、その落書きを銅版画に“昇華”(おっ、カッコよくでましたな)できればいいな、と思っているのが主な日々である。
単身で東京に来て2年、前にも来ているのでまあ、パターンは似たような感じでやっている。
だが、単身だと孤独である。まあ、会社には行っているので完全な孤独ではない。
前は頻繁に飲み会などをやって、結構孤独が結果的には癒されていた気もする。
だが、コロナになり、節約を意識しだしてからはめっきり飲み会も減った。
私は長い会社員生活で、やはり飲んでひとと仲良くなる、ということが多かった。
だいぶ性格が飲むと解放的になり、ひとと打ち解けやすいのだ。
初めての人とも結構喋りまくるほうだ。
この前版画関係の飲み会にいったら、大変楽しかった。
だが、飲酒を前提としたコミュニケーションは、今後難しくなってくるだろう。
主に金銭面と健康面だ。
それがないと、完全孤独とはいわないが、結構心配だ。
ジェンダー的にこういう表現はどうか、となるかもしれないが、女性は基本、イヤイヤでも我慢してコミュニケーションを取っている気がする。そういう基本的な姿勢、というか本能に近い情報収集欲がある気がする。
男性は見つけた狩場を横取りされないよう、情報を隠す本能がある気がする。
一子相伝で子どもにだけ教える、といったような。。
定年後の単身男性が孤独すぎるという意見もあるが、勝手な推測ではやはり引き籠っている方がおおいような気がする。名古屋に帰り、近くのスーパーなどに行って、ひとりで買い物している人のかごを盗み見る(まあ、あまりいい趣味とはいえないでしょうが)と、やはりおばあさんの方が、おじいさんよりもちょっと原料系の食料(ネギとか豆腐とか)を買っているケースが多い気がする。
おじいさんはやはり第3のビールとつまみ系だろうか。
決めつけるな!一人で充実している!!という意見もたまに目にするような気もするが、例えば老人ブログなどを見ても、趣味や文学が好きなおじいさんはいても、あまりそもそもおじいさんがブログを書いている割合が低い気がするのは気のせいだろうか。
まあ、あまり書くことがない、というか、買い物して料理して、というおじいさんがあまりいない感じがする。定年前後の方はたまに見かける気がするが。
あくまで私の体感であるが、そのあたりにもそもそも本質的にコミュニケーションを求めているかどうか、という差が垣間見える気がする。
(私はすこしおばあさん要素あるかもですが。。。)
女性はなぜ強いのか
考える。生きるために、考える。
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