8.31 プラトン立体について。澁澤龍彦と澁澤龍子と沢渡朔とマンディアルグ。
プラトンの哲学が大変現実的というより、ギリシャ哲学自体が含む現在で感じるところの神学的(神秘学的)要素がこの日本で紹介されるときは「誤解を生む」ためかほとんど紹介されていない、という印象がある。
本来の哲学とは、答えられない問いの下に線を引いて世間に提示すること、と内田樹先生もおっしゃっているが、そうであれば「神」や「全」や「一」はそもそもいの一番の問いとなろう。
プラトンの晩年の著作である「ティマイオス」は神秘的記述が多く、対話篇が多い著作群では異色といわれるとのことだが、晩年の作であればいわゆるそのころもあったであろう「お題目より世間のことを書け」というような世間のプレッシャーは多分無意識に大哲学者であるプラトンにもあって、それが徐々に外れてきたのでは、と個人的には邪推するところである。
澁澤龍彦亡き後の澁澤邸を、私の愛するアリスの写真集を作った写真家である沢渡朔(さく、でなくはじめ、と読むんですね)氏が撮影し、未亡人の龍子氏が龍彦の文章を選んだ「ドラコニア・ワールド」を読んでいる。
プラトン立体とは、別の言い方をすれば正多面体のことである。すなわちどの面も合同な正多角形で、どの頂点にも同じ数だけの面がついている凸多面体のことだ。私たちの生きている三次元の空間には、無限に多くの正多面体は存在せず、その可能性はわずか五種類に限られる。正四面体(ピラミッド形)、正六面体(立方体)、正八面体、正十二面体、正二十面体の5種類で、どれにも外接球および内接球が存在する。
私がプラトン立体に特別の興味をもつようになったのは、じつを言えば数年前、現代フランスの作家アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの『大理石』なる小説を翻訳してからのことだった。この奇妙な小説のなかに、主人公がイタリアの或る湖中に浮かぶ無人の島で、糸杉に囲まれた空き地にそそり立つ、五個の美しいプラトン立体のモニュメントを発見するというエピソードが語られていたのである。その五つのプラトン立体は、月光を浴びると黄金色に染め出され、しかもガラスの塊りのように透明になるのだった。
澁澤龍子編 「澁澤龍彦 ドラコニック・ワールド」P.74-75
2010.3 集英社刊
いささか長い引用となったが、澁澤が書くように、アカデメイアの学長であるプラトンが与えたプラトン立体への神秘性が、これほどあからさまに表された文章は稀有であろう。
プラトン、マンディアルグ、澁澤龍彦、澁澤龍子、沢渡朔。こういった「精神のバトン」を経てプラトン立体の概念が、不肖私にもまた、届けられたのである。
(ありがたやー!)
お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。