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日記12月23日。 #日記
映画フリークス、を見た。
ビジネス誌等のサイトでは、今の新入社員は電話を取りたがらない、上司が残業していてもやることがあるか(帰っていいか)と聞いて帰る(そしてそれは困ったことだ、どうしよう、甘受するのか?)、というようなコメントがあふれている。
これらはまずは主閲覧者である”上司”サラリーマンに媚びた記事だが、毎年この時期に現れる風物詩的な記事でもある。
この”今の新入社員”という言葉を無意識にスタンダードとして採用している先輩・上司社員がいる。今の、という言葉の意味は、”自分とは違う理解できない他人である今のひと”という意味がドクサとして染みついている。
”今の”という意識を持った人が仕事上で関係する人である場合、その相手は"仮想敵”と言えるかもしれない。説教、失望、こんなやつとは仕事をしたくない、叩き直してやる、といった気持ちが脳裏に渦巻いている人であるかもしれない。
相手を“敵”と考えることは自身にとってのリスクを伴う。敵、と思うのは自分と同じ弱さをその中に見て、それを憎むこと。つまりは自らを憎み、将来立場が変わればたぶん新しい人に同じ思いを抱くだろう。
現実問題としてこういう意識が勤務者の総意である職場で働くのはストレスフルではある。新人を”自らの下の存在”と認識している。もちろん経験とビジネススキル(そんなものがあれば、だが)では未熟である。だがそれ以外では、対等である、と考えることは必要であろう。いわゆる”罪を憎んで人を憎まず”である。これは難しい。日本ではこれはたぶんほとんどの社会で、できていない。
このあたり、女性蔑視とも似た香りがある。新人蔑視、とでもいうべきか。属性によりその人の行為(将来的なものも含む)をドクサにより判断し、決めつけを行っている。
私は新入社員ではない。社会人〇年生だ。だが思い起こせば新人のころ、電話でのコミュニケーションは苦手、人との会話は苦手、仕事がないのに上司がいればなぜに(ただいるだけ)残業なのか、と日々感じていた。
何にも変わってないのだ。
働くことは、この理不尽さに耐えることだ、と思い続けて来た。
学生時代は、社会人=耐えること、楽しくない生、と考えてはいたので、とにかく自身をその世界に馴染ませるべく努力した。運動部(除く個人技)が日本社会で重宝されるのは、閉じたパワハラ世界である集団競技での滅私奉公の機能が事前に備わっているからであろう。これは楽だ。入社後教えなくていい。
集団競技でも、野球出身者の評判はすこぶるいい。そもそも野球つながりで地域社会へのアプローチが容易だ。営業、総務、ひととのネットワークが自然についてくるのだ。
このあたりが日本社会で野球が重宝される理由の一つであろう。いわば野球という競技を通して、日本サラリーマン社会の予習も行っているのだ。
私怨がこもった。私は幼児のころから野球は全くできない、それどころか球技(の出来なさ)百般である。球技の出来なさなら人に引けをとらない自信がある。ただそれは、球技自体が嫌だというより、その結果に関し発生する人間関係のわずらわしさが嫌だった、ということのようだ。
フリークス、の話であった。
アマゾンプライムで無料で見られるなかに、このフリークス(怪物団)が入っていたのは、スタンレー・キューブリックの”時計仕掛けのオレンジ”を見た後のおすすめの中に入っていたからだ。
アマゾンプライムで映画を比較的見ていることは、以前この日記でも書いたような気がする。個人的には、洋画、字幕、無音、ぶつぶつ視聴、どこでも視聴、という感じである。どちらかというと、車中でマンガを読んでいる、あるいは新聞連載小説を読んでいる、という感覚に近い。
世界の名作文学、名著を読んでいないのと同様、世界の名画を全然見ていない。これはビデオを借りてテレビで見る、ということが、家庭内公共の場であるTV画面が不適格であったからであろう。とにかく家族内で志向が違いすぎる。ことさらこちらの趣味を家族に押し付けるつもりはないので、勢いあきらめてマンガや本に移行する。レベル的な面白さは変わらないからだ。
しかし有名どころで見ていない映画が多い。最近見たのは(前も書いたが)コッポラ(地獄の黙示録、ゴッド・ファーザー)、タクシー・ドライバー、スカー・フェイス、キューブリック(時計仕掛けのオレンジ、シャイニング)等である。その前はアクションやマーベル系が多かった。
別に誰かと知識や経験で優劣をつける必要はないので、これらの名画を見た、ということを誇るわけではないが、名画、といわれるものにはどうやらそれだけの価値があるようだ、ということは感じる。やはり、面白い。
フリークス、は過去に大きな物議を醸した作品だという。見終わったあと、すこし周辺情報を探った。いま見ることができるFILMは、オリジナルを大きくカットしたバージョンだ。それさえ、30年間、公開を禁じられていたという。
理由を考えてみた。
のだが、それはまた別の機会に(書けたら)書くことにしよう。
(フリークス、見ることができない禁断の映画、という認識でしたが、実際に見てみるとそれほどではありませんでした。ですが、公開前にカットされた部分、この映画が”ホラー”とカテゴライズされている部分などに、闇があるように思います)
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