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3月28日 自分のボイスを見つける。
勝間和代さんのサポートメールを毎日楽しく拝読している。
最近刺さったのは「自分のボイスを見つける」ということば。
これは自身の本質、あるいは本質に連なったことを日々行うことが幸せである、という意味で理解した。そしてそれが仕事や収入につながればいいし、生きがいになればそれもいい。
子供のころからそのことを考えてきたように思う。
私にとってはそれは「版画等の制作」ということになるだろうか。
子供のころから、「どうやら大人になると親の庇護から離れて、自分で「稼ぐ」必要があるようだ。だが、人間集団より虫や動物集団に親近感を覚えてしまう気質に生まれついているので、その気質を生かした仕事は限りなくないぞ」と思ってきた。
つまりはコミュニケーションに自信がないのだ。
(本当はコミニュケーションというべきかもしれないが、日本語のカタカナ表記はぶれるものバセロンコンスタンチン→バシェロンコンスタンタンのように(笑))と思っているので敢えて書く。そしてドヤ顔でそのことを言われると、わが「国語魂」が反骨心の鎌首をもたげるのである。あんた日本語表記についてどれほど本質がわかっているのか、と)
で、けっこう子供のころから、できる仕事ないなあ、と思ってきた。
力仕事は、力自慢のおっさんの一員に擬態せねばならない。
理系的知識は皆無、あるいは理系的学びは苦痛、拷問でしかない。
うーん、「男はガテン系か理系」というメインストリームには行けそうもない。
そう思い、小学校の卒業文集のなりたい職業欄にはあえて「デカい家に住んで犬を飼う」などとほら吹き野郎のようなことを書くのが精一杯であった(それ以前は「お菓子屋さん」。パティシエではない、単なる小売業(´;ω;`))。
まあ、デカい家に住むために蓄財しようとか、一山当てようとはこれっぽっちも思っていないのだ。本当の理想は「ディレッタント」。そう、資産もないのに資産金利でうろうろしたい、と思っていたのだ。ただそれではさすがに反発を生むだろうと思いぼかしたのだ。
そんなこんなで会社員の事務屋となった。いろいろやる中で、余暇として銅版画を始めた。
絵は小さいころから好きで描いてきた。だいたい虫(初めての入選作は
実在しない甲虫)か人外(幼稚園での入選作は「赤鬼」)であったが。
そう、今でもテーマは一ミリも変化していない。
なので、絵を描いている(構想する、エスキースを描く)のは楽しくて仕方がない。なんというか、やるべきことをやっている、という感じがする。
で、工房に行けばそのような皆さんに多数接する。これもいい。わが嗜好がそれほど奇形ではないのかも、と思える瞬間だ。
いまは極くたまにだが、拙作をご購入頂くこともある。なんともありがたく、長く幸福感に浸ることができるのである。
(本当にありがたいことでございます)
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