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日記1月5日。 #日記

今日から会社が始まった。

松原泰道師によると仏教の真髄とは、釈迦の言葉、

上求菩提 下化衆生     

であるという。

菩提、とあるが、ここでいう菩提とは、いわば真善美であり、とりわけ真、でありだろう。つまりこちらの真髄はただ仏教の、というだけにはとどまらない。

宗教全体の、あるいは畢竟人としてのありたい姿を、活写した卓見であると感じる。

求め続けることとは、つまりは”継続してものごとを行うこと”であろう。

継続してみて、わかることがあるように思う。13歳の中学2年の頃(私は早生まれです)、道端の映画ポスターを見た。そこには腹筋の割れたアクション俳優の姿があった。

ああ、腹筋とはこのように割れるものなのか。

”割れる”ということばさえしらずに、ただ、その段々になった腹に一人感動した。

翻って自らの腹は。。。ぷにゃぷにゃという言葉がぴったりだ。

それからは中高と、一日100回の腹筋と腕立て伏せを自らに課した。通学(往復4時間かかったが)では足首に鉛のウェイトを付けた。

まあ、考えてみると痛い中2思考(まさに中2でした汗)ではあるが、そのことで、継続して鍛えることで、身体に変化が起きることを知った。

義務ではない。選んで、”好きで””勝手に”行うこと。

これが実は、大切なのではないだろうか。

やらされてやること、はセットとしてやらされなければやらない、がある。

やらされているうちに、”自分事”になるケースは幸せなご縁、といえるだろう。そういうこともままある。

だが、やってみてやらされ感が止まないのなら。

それは考えねばならないだろう。

学校で学ぶ。なにを学ぶか、いろいろと接してそのバリエーションを知ることは必要であり、必須である。そこから何かを選び取る。

ただ就職のため、と思うとなかなかやる気もおきぬのだが、今この年になってみるといろいろなきっかけを結果的に与えてくれるものである。

できれば、あの中学2年のころの自分にも、こんな気持ちを教えたいなあ、とも、思っている。

(昔から、なんらかの形で絵に関わりたかったんですが、そう思い続けていろいろ試みることは、重要だなあ、と今は思っています)



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豆象屋
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