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5月1日 生きるために食べると、食べるために生きる。頼みは「本」(個人的意見です)。
池田晶子さんが、ご自身の脳内での会話のように見える池田ソクラテスに語らせた言葉。正確ではなくうろ覚えだが。
衣食足りて礼節を知る。その逆はない。
まずは「衣食を足らしまねばなるまい」
そういう「残念な」ことを学ぶのが、大人ということだろうか。仮に遺産などがあったにしろ、学びは必要だ。
だが、「衣食を足らしめるための活動とは、耐えることと同義であろう」ということを思うようになるし、耐えることなしに衣食が足りる、ということは僥倖ではあるが、維持は困難かも、という予感も得るだろう。
人間、楽な状況から厳しい状況に行くのは嫌だからだ。
逆はいい。
だが、食べることこそが人生である、というなかば「やけくそ」「ルサンチマン的」思いに普通とらわれがちだ。私もそうだ。だって、耐えることは楽しくないから。
だがそのことはそのことで、甘受しつつ、それでもあえて自身を客観視して、「生きるために食べてみろ」と池田ソクラテスは言うのである。
ルサンチマン?そりゃあるよ。
だがそこに留まることで本当にいいのかね?
そういうことだろう。
敢えてそこから身を(精神的に)起こして、半ばやせ我慢で宣言してはどうか。
そういう問いかけなのだろう。
そこでやはり頼みになるのは「本」、ではなかろうか、と
本好きな私などは思うのである。
(本には著者の人生が凝縮されているケース(いつでもではない)が多い気がしますのでね。。)
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