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11月15日(月) #日記 映画のことなど。

今人気のウーバーイーツは利用したことがない。多分もとからあまり家族で外食という習慣がなかったせいだろう。

プロモーションコードつきの初回利用で2500円実質無料のハガキが入っていた。サイトで見ると本当に無料のように見える。1000円程度ならわかるがいきなり2500円相当というとなかなか豪儀だ。これは使わないと損だ、というところを突いている。

普段からやれ健康だ、添加物がどうだ、などと偉そうなことをいっているが、まあ個人的な趣味のようなものだ。ゲーム感覚といってもいい。どれだけ健康に寄せられるか、というトライという感じで楽しんでいる。それでいうとなかなかファーストフード(敢えてファストなどという普通の日本人が知らない言葉は使わない)では選択肢が限られる。やはり寿司だろうか。生の魚、というのは、健康に良いので。

映画雑感。

今アマゾンプライムで007シリーズを見ている。歴代のボンド俳優をとりあえずは一通り見よう、というイメージだ。私がきちんと007を見たのはダニエル・クレイグ版であるが、一発で参ってしまった。これは渋い。それ以来劇場に足を運んでいる。

歴代007をなぜきちんとみていないか。これは実は寅さんと同じ理由だろう。

つまりは個人的には「このおっさん、あるいは”大人”といわれる様式美は、いまだ自分は心から楽しめまい」と思っていたわけだ。

寅さんと007は少し理由はずれているかもしれないが、もう少し若いときはなんともあの寅さんが「笑いを取りに来ている」ところで全く笑えない、というところがきつかった。その時代のずれによる「おかしみ」の鑑賞を、余裕をもって行えなかったのだ。あの頃のおかしみを、自身はおかしくなくとも、おもしろくみられること。これがないと寅さんはしんどかったのだ。やはりリアルタイムであの時代の空気を知らなかったことが大きかったのだろう。

だが、なんとなく、いわば歴史的に、寅さんを見ることができるようになった。そうすると、そのずれをあまり意識せず、渥美清の美意識や、当時の売れっ子女優の変遷、といった面がとたんにたまらなく面白く思えだしたのだ。

渥美清、という人は、私生活では寡黙で知的な方だったという。007でもそうなのだが(ある意味仮面ライダーシリーズもだろう)、あまりに広く見られた映像作品に出演すると、世間は俳優をその役割を体現する存在として見たい、と望むのだ。望み、押し付ける。

ショーン・コネリーが降板したのも、年齢もあるだろうがそういう面が大きかったように思う。ほかの役が、できないのだ。007が誰かほかの役をやっている、007のキャラ設定と違う、そんな風にしか、見えないのだ。

寅さんのような化け物シリーズでは、完全に渥美清=寅さん、であったろう。ナイーブでいわば子供っぽい大衆心理。莫迦にするわけではない。祝祭として、それこそテキヤの怪しい販売品のような位置にあるギャグ&ペーソス庶民派映画。これを大事にすれば、渥美清は、「実は私は寅次郎とは違う別の人間なんです」と言いたくても、言わずにいるだろう。その我慢が、渥美清の美学であった。ある意味、高倉健とも並ぶ、日本のダンディ、であろう。

いつのころからか、私は「サザエさん」を見なくなった。私は長谷川町子のファンで、昭和初期のあの雰囲気をマンガで見ることが大好きだ。だがTVでは、なんだかもう、いたたまれなくなった、という少しずれた感覚ではあるが、見たくなくなったのだ。

お茶の間で、TVで映画を見る。そういうシュチュエーションの場合007はあまり適当ではない。007は、やはり個人で、映画館あるいは今であればスマホで、見るのが良い。

なぜなら私は、見たい作品を遠慮なく見るからだ。そして基本的には、その作品は多分万人向けではない。オタク向けでは、あるだろうが。

同じ趣味の友人がいたとしたなら、いいだろう。だがそんな友人も、高校生以来、残念ながらいないのだ。映画も、本も、基本的には周りで共感してくれる人はほとんどいなかった。これは絵でも同じだ。人に見せて共感を得ることは難しい。であれば、自身で、自身のために描くべきだろう。だれにも見せる意図なく膨大な絵を自らのために一生描いていたヘンリー・ダーガーのように。

007、歴代俳優作品を適当に見ているが、なんとも楽しい。やはりダニエルの体術と肉体は、その身長差を補って余りある、という感想であるが、意外に印象に残ったのは「女王陛下の007」一作のみに出演したオーストラリア人俳優、ジョージ・レーゼンビーであった。モデルあがりでほかに取り立てて有名な作品に出ていたわけでもない非英国人でありながら、映画撮影中は大物気取りで撮影陣からの評判も良くなかったという問題児であることも含め、型破りなところは実は個人的には007の組織をはみ出る感じにあっているように思う。

そして目を見張ったのはアクションシーンが妙に説得力にあふれていたところ。古い映画を見るとどうしても格闘シーンが嘘っぽく感じられる場合がおおいのだが、彼のパンチは本物のにおいがした。いや、これは痛いだろう、というやつだ。少し調べると彼は格闘技のエキスパートで、ブルース・リーの突然の逝去で実現しなかったが、リー映画への出演も決まっていたというではないか。

ダニエルが映画に向け肉体を改造し、説得力のある格闘シーンを見せてくれたのとは別の意味で、もともと持っていた能力ではあるのかもしれないが、格闘シーンの説得力で、この映画は私の好きな007映画上位に食い込んでいる。

(007も、ライダーも、寅さんも、私にとってはプリキュアのようなものなんですよね。。)



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豆象屋
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