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7.27 神の存在理由。
昨日の体重63.7kg、体脂肪率9.7%。歩数は11000歩。
1万歩歩くとなんだか安心するが、これは歩けないと残念な思いがすることとのバーターであるので、まあストレス要因ではあるだろう。
このあたりのストレスをうまく使っていきたいと思う。
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神話の象徴性と真実への肉薄について。
「神」という言葉はむつかしい。
この日本ではどちらかというと八百万の付喪神がまずは浮かんでくる。
個人的には父方は水戸系の神道ではあるが、あれは世俗的な仏教的仕組みを破壊するための方便であるという面があるようにも思う。
つまりはその部分では「方便の神」。
神仏習合といえば、神はどちらかというと仏の眷属というか、征服された多民族、あるいは多民族由来の神がもともとである、というイメージもある。
あしゅらおう、といえばまあこの日本では仏であろうが、そもそもインドではいわゆる神の系譜であろう。
神、ということばで個人的にはそんなことがぼんやりと浮かぶ。
そして忘れてはいけないのが、「サンタクロース」。
聖人であるが、そもそもこの日本、キリスト教の「聖人」についての基本認識はまずないだろう。トナカイに乗って空を飛んでいる時点で、いわゆる「福の神」系列認定、といったところになる。
そういう世界、いや心理世界に生きていると、一神教の神、というのはなかなか感覚的には理解できない面がある。ユダヤの旧教の神と、キリスト教の新教の神がいったい一緒なのか、違うのか、いまだによくわかっていない。
そもそもそういう神からのアプローチよりも、それを生んだ背景文化時代地域性を見てゆくしかない、と思っている。
神、とはこの存在全体を考えたときにすべからく辿り着くすべてへの「理由」(それが無いことも含めて)のことだと思っている。
(ですがつい「人間類似の存在」として考えたくなる、という点も、面白いですね)
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