9.18 なんだかんだで。宇良とマッスル北村。
色々忙しい。
さて、古いムックで「マッスル北村伝説のバルクアップトレーニング」を今も新刊でアマゾンで売っていたので購入した。
きっかけは大相撲の宇良のWIKIPEDIA記事を見たことだ。彼はマッスル北村を尊敬しているという。
私は子供の時から相撲をよく見ていたので、自分でも相撲をするのが好きであった。やはりプロ野球を見ていれば野球好きに、サッカーならサッカー好きになりがちだろうと思う。
いわゆる初孫であったので、一人母方の祖父母宅へ一人であづけられた。やはり四時ころからやっている大相撲中継を祖父が見ていたのを一緒に見ていたのだろう。
最近は相撲を見ることから遠ざかっていた。若貴引退後のいろいろな醜聞、いわゆる本当に心技体そろった日本人力士がいなかったことがあるだろう。決してモンゴルの力士たちを差別する気はないのだが、相撲を見ることは義務ではなく嗜好であるので、そんなこともあるかもしれない。
いわゆるソップ型力士が好きである。多分その後のプロレス好きに嗜好が移っていったのだろう。
日本人だとやはり190センチ以上のソップ型は難しい気がする。これは体格的な限界のように思う。一方で身長が足りなくとも、根性で体重を上げて、幕内で活躍する技能型力士、というのも好きである。
宇良はたしか173センチ、現在で人生最大の150キロだという。この体重を得ることは非常に困難だ。宇良も幕内で戦えるからだを得るために食べまくったという。そこでマッスル北村に結び付く。
「とても傲慢に聞こえてしまうかもしれないがボディビルを始める以前からボクの念頭にあったのは”世界レベル”という言葉であった。」
P.56 マッスル北村伝説のバルクアップトレーニング
同書は2000年に世界戦に挑むなかで完全燃焼して亡くなったマッスル北村の13回忌に発行されたものである。私のなかでマッスル北村のイメージはもはや朧気ではあるが、なんというか、純粋に人生をかけて世界レベルをめざしつつある人の心を、出演するTV等から感じていたのだ、と上記の言葉から思い出した。
肉体は結果であり、それを求める、心から希求する心に撃たれるのである。
宇良がバックボーンであるレスリンングを生かして、ほとんど決まり手として見られない技で勝つこと、と
マッスル北村のこの言葉が、なんというかつながった気がしたのである。
(応援、したいですね)