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日記11月17日。 #日記
承認欲求について。
承認欲求は、生きるための目的に、特に幼少期や青年期になるものであるが、そのことに絡みとられすぎると苦しくなる、最終的にはうまく付き合って、克服すべきもの、というのが大体の皆さんの認識であろうか。
私自身もグルグルに巻きつかれたまま、と残念ながら言えるようだ。前に禅や神秘主義的観点で第3者的視点が必要、などと書いたものだが、まだまだ”修業が足らん”というところだろう。
身近な人(家族や学校)、世間や会社、というところで承認を得るべき目標を設定し、自らの恃むところの能力をできるだけグレード・アップしたいな、と思うことは人生の初期には間違いなく必要であろう。だがそのことに人生中末期まで終生付きまとわれることは、正直勘弁してほしい、と思ってきたのは、私がいい年になってしまったからであろうか。
承認されることが、生きるよすが、仕事と密接に関係する面がある。例えば公的な承認が入試や入社面接での合格となろう。またSNSでのいいねによる承認もまた、日常でその味を知ってしまえば、抜け出ることは大変困難であろう。
なるべく多くのひとに見てほしい、知ってほしい。そんな気持ちで私もこうして日記などといいながら文章を書いているわけである。
だが、そこの時点からすこしでも離れ、本当の本来である、例えばだが、なにをしてもいいが、その結果がなんらかこの世界を1ミクロンでもよくする、とか、あるいは奇跡的な”今生きている”という状態を寿ぎ、燃焼する、といったような目的(世界を良くする、には他者の承認がもれなくついてきがちである点は要注意だが)により意識的になり、フォーカスすべきである、という風にいま感じてきている。
”他人の評価は気にしない!!”と嘯くだけでは不十分だ。
客観的な真の評価を、みずからきちんとできるのが、いいような気がしている。大変に難しいのだが。
(意識し続けると、すこしずつ変化するような気がしています)
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