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日記4月12日 科学的態度と科学教。

昨日夜夕食前の体重は64.3㎏、体脂肪率10.3%であった。今朝の朝食後は65.3kg、13%であった。まあ、64kg位をキープしてゆこう、という感じでいる。

我々は生れてから自然に接するときに、客観的に数字、数量的に接することが正しい、という感覚を持っているだろう。我々といったが、勿論ほかの人の心の中はわからない。だがたぶん、ここ日本で教育を受けていると私がそうなったわけなので、皆さんも似たり寄ったりだと思う。

一方で内面は、精神は、数量では計り知れないものである。すると内面と外面で断絶が自然に出来てくるのだ。

これがたぶん、あまり心の安定に良くないように思う。

ここで両者をつなぐものが「美」、美しいと思うこころである、ということをいったのが、ドイツロマン派を結果的に始めたといわれるノヴァーリスである。

自然を知るには科学的な観察や計量が必要だ。しかし、一方で自然を見て美しい、と思うこの心がある。つまりは、この「美しい」と思う心が、自然と心、内面と外面をつなぐ、ということだ。

この考えを知った特に、なるほどそうか、という気持ちになった。

目がなければ、光は無いのとおなじであろうか。

耳がなければ、音は無いのと同じだろうか。


例えば第六感というものがありうるとして、第3の目が開くことでいま感じることができないなにか、光や音と同じく、現在この世界にあまねくあるが動物が受領できないなにかがあり、それを感じることができるのであれば。

いま器官がなければ、それを論じることは全く不可能ということはないかもしれないが、万人が納得するような形で合意することはできない。

シュタイナーや、例えばさまざまな宗教が、示そうとしてきたことはこのような世界の、感覚の、ことなのかもしれない、と思っている。

(目に見えず、耳に聞こえないものはあるのでしょうか。気配、というものはあるように思います。犬や猫は、こちらがHAPPYな気持ちを全開にして近づくと、少なくとも逃げることはありません。なんらかの気配を感じているのでしょう。この「気配」とはなんなのか、ということを考えています)

お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。