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8.23 日々。片山廣子と鈴木ベアトリス。

先週から今週にかけて、まだらで夏休みの感じであった。家族がぱらぱら集まって会う、という感じであった。

今朝の体重は64.5kg、体脂肪率は11.8%。夏休みとは食べ物の縛りもあまりない日々である。そして定期的な運動は少なくなる。

とはいいながら、時間を何とか見つけて歩いてはいる。昨日は夕方5時半ころから。できれば一日1万歩に肉薄できれば、と思っている。今確認したら10363歩。超えている。一安心だ。

休みの日はどうしてもジャンクフードが多くなる。名古屋名物餡掛けスパ。カレー。たこ焼き。大福。アイスキャンディー。餃子。

どうしても小麦粉や糖質が多めにはなる。健康的なジャンクフードというのもなかなか大変である。個人的にすきやの鳥そぼろ丼や、吉野家のライザップ丼などか。家族でテイクアウト、というにはちょっとハードルが高い。

運動少な目でジャンクフード多めとなれば、体重が心配である。今24時間ジムへ行っているので、散歩の途中で20分くらい、腹筋と背筋トレーニングをはさんだ。背筋は最近トライした器具系であるが、新しい動きは新鮮である。片手50キロまで行えたので、まあまあ短時間集中できたかもしれない。

最近片山廣子関係の本を多く借りている。1878年生まれで、元ニューヨーク総領事の娘として生まれているが、父母は領事なので日本におらず、10歳から東洋英和女学院で寄宿生活をしている(もっとも家からは歩いてゆける距離だったというが)。

東洋英和女学院は、カナダ・メソジスト教会初の日本への女性伝道師、マーサ・カートメルにより1984年に設立された。

東洋英和女学院は、外国人居留地以外に外国人が住むことができなかった時代に居留地以外でミッションスクールとして設立することができた学校である。1884年(明治17年)、カナダ・メソジスト教会(現:カナダ合同教会)のミス・カートメルにより設立された。設立当初から西洋人教師による英語教育、欧米の新しい文化や学問が学べる場として、授業料が高額であったのにもかかわらず、進歩的指導的階層に属する人々から高く評価され、多くの入学者を集めた。

WIKIPEDIAより。

10歳で同校に入学した廣子であるが、家から近く、実際に西洋人から英語を学べる環境、というのを、ニューヨーク総領事も務めた父親も薦めたのであろう。幼少時より西洋人と接するという体験は、その後廣子がアイルランド文学を翻訳するきっかけになったのであろう。

いろいろ読んでいて気が付いたのは、鈴木大拙が父親の知人であった関係で知り合った婦人の鈴木ベアトリスとの関係である。なんとなく年上のベアトリスにいろいろ教えられたのか、という印象であったが、ベアトリスの生年を見ると廣子と同じ1878年であった。廣子は2月生まれであるので、ベアトリスの生まれ月は不明ながら数か月程度廣子の方が年上である可能性もあるだろう。

つまりはベアトリスと廣子は同年生まれなのである。日本の学校制度でいけば、可能性としては廣子の方が「学年はひとつ上」という可能性もある。当然高名な哲学者の学識豊かな婦人(ベアトリスは非常に高速に本を読む人で、1日2-3冊はふつうであったという)ではあろうが、気の置けない同世代、それも年下の友人、という感覚が皆無ではなかったのではないだろうか。

ベアトリスは神智学との関係も深く、そうした知識も相俟って、西洋人と身近に接する10歳からの寄宿舎生活で育まれた廣子の精神的内面には、広く素晴らしい幻想的世界があったのだと思う。その世界が、ベアトリスにすすめられたといういわゆる荒涼たるアイルランドの神話的幻想世界とシンクロしたのでは、という感じを持っている。

そこで生み出された翻訳、フィオナ・マクラウド名義のウィリアム・シャープ作「悲しき女王」と私が出会い、その幻想世界の深度に引き込まれたのは、考えてみると当たり前田のクラッカー、というところかもしれない。

(さすがにこの比喩は古すぎましたね(苦笑))




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