9月9日 網羅したい。単に学ぶだけの学校に行きたかったなあ、と改めて思ったりすること。
数日前から引用している近藤康太郎さんの「百冊で耕す」にて、網羅的に西洋文学を読む、という発想を得たことを書いてきたが、
ではどのように網羅してゆくかの一つのアイデアとして、京都大学文学部にて編んだ「西洋文学この百冊」というものがあると知って、アクセスしてみた。
Kyoto University Research Information Repository: 西洋文学この百冊 (kyoto-u.ac.jp)
PDFになっていたので、プリントアウトしてみた。
なかなか読みやすい。
私は高校時代から文学部志望で、しかし第一志望に落ちたら仕方がないのでいやでも就職に有利な学部(法学部やら経済学部やら)に行く、と決めていたことはここでも何度か書いた。
文学部しか行きたくない、という方向にならなかったのは、それこそ祖父がフランス語の先生で、その娘である母親が、
「先生だけはやめとき。めちゃ貧乏やで」
と実感を込めて教えてくれたのに怖気づいたのが一つ。
そして、自分がいる”この世界”で、自分がたまたま与えられた属性が、どうやらあまりつぶしが利かなさそう、という自己評価になっていたことが一番大きいだろう。
一番弱いのは、びびりの運動能力皆無のオタク系嗜好であること。
これは一生ついてまわるので、なんとか”ごまかして”、”基本体育会系であろうこの”日本社会”で”なんとか餓死しないような”仕事を、嫌でもなんでもGETしなければお先真っ暗、と心から思っていたせいだ。
まあ、その判断は、間違っていなかったと思う。
地方の文学部だと、成れるのは先生くらいやで、といわれ、人に教えられるのはいいが、教えるなどとはとんでもない、という気質故、第一志望以外は無理だろうとの判断だ。
加えて算数力のなさ(自己能力が低すぎて、”数学”というのもおこがましい(´;ω;`))。
国立系で算数を課する文学部は、端的に無理である(きちんと見なかったが)。
社会系も、いわゆる倫理系しかできなかったので、その科目受験ができることも必須条件。歴史系は弱いのだ。
で、みごとに落ちた。
ということで、文学部にはあこがれがある。文学好きだが英語力は無いので、ちょっと無理っぽいが、学ぶだけ(就職は忘れて)だと本当に行きたかった。
そう、学ぶためだけの学校に、行きたかったのだ。
そこに突き進んだ勇気ある人は、うらやましさがある。ポスドクや就職のしんどさを見れば、間違いなく”しんどい側”であったであろう自信はある。
必死で”運動部”擬態を行うべく、技として”一気飲み””宴会大好き”という技を身につけた。
実際に運動部にも入ったのだ。
その技のみで会社に入ったが、やはり人間力に優れた”指導員”には本当に心配された。
こいつちょっとやっていかれへんかも
と絶対に思っていらっしゃったと思う。
なので、なんとか続けていることを知って、病身を押して東京に出てきてくださったのだ(病身状態はおくびにも出さず=ダンディな指導員であった)。。
”よう無理してがんばったのう”
本当はそう言って、寿いでくれようとしたのだと思う。顔を見てわかったのだ。
”今やから言うけど、お前会社続けんのはキツイんちゃうかとおもってたで”
そうもおっしゃらない。だが感じるのだ。
ただ、そういうことで、あったのだろう。安心して、くださったのだろう。
ちょっとだけ、指導員孝行できたかな。
また話がずれた。
まあ、そんなことを思い出しつつ、関西人には光輝く“京大”の文学部の、かすかな香りを、
この情報から感じてみよう、と思っている。
(ぱらぱらめくりましたが、まあ笑っちゃう位読んでませんね)