8月19日 「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を購入した。
今朝の体重は66KG、体脂肪は13%。
昨日は貰い物の赤飯や紅白饅頭を一人暮らしなので当然ばくばく食べて、更には毎日の定番の夕食(といっても納豆、玉子、味噌汁=野菜入り)も食べたので、太ることは想定内ではあったが。。
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腕(手の甲部分)が金属アレルギーで状態が悪いので、皮膚科に(再び)行ったのだが、悪化していると言われて薬が変わった。塗り薬もべったり塗るべしと言われ、100円ショップで足用のサポーターを買って手に使ったらまあまあ具合がいい。
100円ショップの目の前に、神保町の東京堂書店があったので、実は初めてであったが行ってみた。
昔は電車通勤であったので、乗り換え時にいろいろな駅構内の書店に行くことがルーティンであった。
今は徒歩通勤であることもあり、すっかり本屋に寄ることがなくなってしまっていた。
前の会社では、帰宅途中にブックオフがあったことも大きかった。週に2回ほどは途中下車して、閉店まで漫画を立ち読みしまくる日々であった。勢い、新刊書店にはいかなくなっていた。まあ,漫画の立ち読みができないことも大きかった。漫画立ち読みができれば、とりあえずは漫画を読んで、他の棚も見ていたのだが。。
いわゆる文庫や、単行本の立ち読みをする、という癖はさすがになかった。雑誌はよく読んでいたが、そういう意味では新刊書店は雑誌の立ち読み、という要素で行っていたのだ。
雑誌はコンビニでも立ち読みできるし、漫画も昔は立ち読みできていた。
今は帰路途上にブックオフもないし、本の置き場も限定的だし、ということで総合的に行っていた新刊書店から、足が遠のいていた。
立ち読み要素が減った分、新刊書店に行かなくなっていたのだ、と今は整理している。
で、神保町に住んでもう20か月となるのだが、やっと新刊書店である東京堂書店に行ったのだ。
行って驚いた。素晴らしい空間ではないか。
で、買った本がこれ。
なぜ働いていると本が読めなくなるのか (集英社新書)
なぜ働いていると本が読めなくなるのか (集英社新書)
作者:三宅香帆
集英社
Amazon
いや、とにかく本はなるべく買わないように、と思っているのに、ついつい買ってしまった。あやうくもう一冊買うところであった。
なんというか、最近はリアル本屋の存続可否がいろいろなところで議論されている感じがある。
端的に、難しいところがあるだろう。
たぶん日銭を稼いでいたのは、漫画と雑誌だろう。それが漫画は電子に大きく移行したし、雑誌はその位置づけが難しくなり存在感が減っていった。
昔本が売れていたのではなく、昔も漫画と雑誌以外ではなかなか経営は難しかったのだと思う。たまのベストセラーや文庫本(こちらも電子への移行が激しいだろう。漫画ほどではないだろうが)だけではそもそも難しかったはずだ。
TVで映画館が淘汰されたように、電子書籍でリアル本屋は淘汰される。これはもう、どうしようもない。版権を販売している出版社(もう、出版社、という呼称は合わないかもしれない。版権管理会社、というべきか)の経営は漫画の電子化による海外での収入でむしろ良化しているはずだ。
本屋はユニクロに対するセレクトショップのように、アマゾンに対応して、”リアル本好き”のための趣味の存在である”リアル本”を扱う店になるだろう。
そこでは造本や装丁も凝りに凝る方向となり、当然単価も上がるだろう。
いまでも講談社文芸文庫では、昔なら400円位のイメージの本が、2000円位する。
残念ながら古本屋も、買う人が減れば供給減が枯れてくる。
ということで、より骨董価値によって商売する方向になるだろう。
残念ながら、古本屋の数も減っていくだろう。神保町は残るだろうが、全国でも特殊な地区にのみ残るものと、なるだろう。
(やはり時代による変遷、はありますね。。。ですが、家に親が買った本がリアルであることにより、子供が自然に本好き、文学好きになる、という経路は絶たれますね。意識して本を与えてゆく、ということになるでしょうが、対象年代を超えた背伸びした(時には親に隠れた)読書をする体験は、残念ながら減ることでしょう。。
話はかわりますが、そういえばファイブスター物語の過去刊行分を一通り再読しました→当然リアル本です(笑))
お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。