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日記4月25日 会社員の服装についてと、感情奴隷的な働き方について。
制服、というものは、自らが選んでいない服を強制されて数時間着続けさせられることを示す。
という意味では物理的に服、というよりは「強制的に着たくもない服を着せられること」という事象といってもいいだろう。
逆に制服を着た従業員を見たユーザーは、「この人間はいやいやこの制服を着せられている=従業員に強制力を働かせることができる会社である」と推察し、得られるサービスが一定の強制的(奴隷隷属的要素といってもいいだろう)作用を経て届けられる、奴隷的サービスは「お値段以上」である可能性も高い、という直感や思惑をもち、
いわばギリシャ時代の「奴隷を使役する」市民、のような感覚でもってそれを「満足感」と認識する。
ここ日本で、「ダサすぎる」制服がいまだ多い理由をそのように理解している(個人の理解です)。
なので、制服をスマートに着こなしている姿には憧れる。NHK映像の世紀を見ていて、パリエッフェル塔を作っている作業員が、なんとスーツを着て作業しているのを見て、感銘を受けた。
もちろん、たぶん思い入れが過ぎるのだろう。
多分イタリアあたりの移民であるかもしれない彼らは、そもそもそういうスーツスタイルの普段着しかもっていないのかもしれない。
だが、ゴッドファーザーのサーガを見た後にあの映像をみれば、制御できない自由なる魂を持った個人である、というようなイメージがふつふつと湧きてくるし、たぶんそういう気概を持った人物が働いていたとも思うのだ。
制服はダサい。
営業車はダサい。
ダサくない制服や営業車を使っている会社はチャラい。
そんな認識がここ日本ではあるだろう。それを皮膚感覚でお互い感じるので、労働者は敢えてダサい制服をいやいやながらどこかで諦めて着ている。
最近はスーツ仕様の作業着も出てきた。これはいわゆる3K(いまは使うのかな?)な職場で働き手が来ないので、「ここではスーツのような作業着を認めますよ」というメッセージを出すことで、少なくとも同業他社よりは志望者を多く集めよう、というインセンティブが入っている(個人的感想です)。
ねがわくば、そういうところで隷属性を確認するのではないような、働き方と認識の中で、過ごしたい、という思いもあるが、
それには相当の時間がかかるだろう。
あ、冒頭の時計、本来「ビジネスでは使ってはいけない時計」ですが、小さな反抗として使用しています(笑)
(THIS IS 島国感覚、ですね。。。)
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