12月12日 心地よさ、だけでいいのだろうか。
純粋な広がりとは、どんな考えもそこへ届くことがなく、どんな考えよりも広いもののことである。それは神である。
P.64 マイスター・エックハルト ヴェルデ著より
意味がある、意味がない、という考え方がある。
考えてみると不思議な言葉で、ここでいう”意味”とは多分、自分以外の外部のなんらかの判断によるもののことだろう。
わかりやすい概念では”神”。西洋諸国はキリスト教文化、中東ではイスラム教。両一神教に囲まれて、我が日本文化は八百万の神や物神に囲まれ、成仏ということばからはあるいはわが身は仏となるかと思いつつ、一方で禅では“悟り”を希求する。
こういう精神風土は或いは気楽なのかもしれないが、神についてあまり考えないことは、結局”神とは現世利益をお願いするもの”となり勝ちであり、年初には商売繁盛を賽銭の額なども意識しつつ自己の気持ちをコントロールしてゆく日々だ。
だがどこか閉塞感がある。現世利益を神に願うことは、死後や精神世界を基本あきらめている気がする。つまりは”生きているのに意味なんてあるかいや”というのが、あるいは日本のデフォルトであるのだろうか。
そこでひろくたゆたうエックハルトの善や神の概念で我が魂を慰撫する。たんなる慰撫か??そうかもしれない。
だがそうしたい、と熱望してしまう理由は奈辺にあるのだろうか。
(魂への心地よさばかりを私は求めている気もします・・)
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