4月23日 鈴木大拙の禅、鈴木大拙と禅。
人生の根本的問題は、主客を分かつものであってはならぬ。問いは知性的に起こされるのであるが、答えは体験的でなくてはならぬ。
鈴木大拙の言葉より。
永遠とは、この知性・感覚の世界におけるわれわれの日常の体験であって、この時間の制約の外に永遠があるのではない。永遠とは生と死の真只中(まっただなか)、時間の進行の只中においてのみ可能である。
工藤澄子訳 「禅」 鈴木大拙
私は特に鈴木大拙に詳しいものではないのだが、なんとなくだが大変身近に感じるのである。大拙の妻ベアトリスは、片山廣子と同い年位であったが、日本に来てから片山にアイルランドの物語への道筋をつけた人である、と認識したりしていることもある。
その結果、片山は「かなしき女王」はじめ、その時代の日本では稀有の透明感を持った翻訳をなし、長い年月を経た今も多くの読者の琴線に触れている。
大拙の妻は旧姓を ベアトリス・アースキン・レイン と言ったようで、結婚したときはベアトリス33歳、大拙41歳であったという。当時としては晩婚であったろうか。
アースキン家はスコットランド王:クイーン・メアリーの後見人を出した家系とのことで、ベアトリスの母エマはアイルランド出身ではなかったとのことだが、米外交官トーマスと結婚してベアトリスを授かったという。
鈴木大拙は明治30年に渡米している。片山廣子の父は明治27年に外務省を退官しており、明治38年に亡くなっているので、米国にて大拙との直接の接触はなかったのかもしれない。
上掲の工藤澄子訳の「禅」は、米国でどのように受け入れられたのだろうか。私などは日本生まれ日本育ちであるので、禅、といえば仏教の一宗派である、という印象から入る。そう、仏教と言えば、聖徳太子や「一休さん」というイメージが渦巻くのだ。なので、相当年を取るまで、禅仏教の特異性、といった感覚はあまりなかった(一休さんは禅師ではあるが)。
だが日本ではキリスト教といっても、サンタクロースに讃美歌、カトリックとプロテスタントの区別もままならない。両派がいわゆる「ミッション学校」(片山も最初期のミッション校を出ているが(宿舎に住んでいた)、最初期であるがゆえに教師たちは真摯にキリスト教を生徒に伝えたことであろう)を作ったことで、個人的、というか私の母親はプロテスタント系の学校とカトリックの学校を出たりしていたりで混乱している。
つまり米国ではその逆、予備知識やイメージなく「禅」を一つの思想体系としてピュアに受け、考えて体感したのだろう、と思うのだ。
禅は、人間一人一人のなかに神自身の残り香のようなものが宿っている、という教義のため、異端とされ当時の教会から抹殺されたグノーシス派や、その後その思想の流れを汲んで同じく異端とされ抹殺されたカタリ派などの教義とも親和性があるように思う。
つまりは、「悟り」だ。
悟り、というものの理解が勿論私では不十分であろうが、いわゆるキリスト教圏で一部グノーシス派などの思想を史実として理解している層、当時のヒッピー文化、そういった土壌の中で広く興味を持たれたものだと思っている。
妻のベアトリスは母親から続く神智学者でもあり、その知識・信条から大拙に惹かれて結婚したのだろうと思っている。
それは冒頭で引いたような大拙の人生や永遠に対する深い理解があってこそであったのだろう。
(大拙の言葉は英語を通して日本語に戻っており、それがまた味わい深いですねー)