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8.26 ママガイイ。のか

さて、大変難しい問題だと思う。

私自身は実際に経験したわけではないが、家人が保育士として働く現場でのことを聞くことがある。

児童は0歳からくる。

当然多分本能的に庇護者を求めるし、そうする能力がないものは生物として生き延びる可能性が減るだろう。

だが、0歳児が入ってきて、保育園での運用方針は「抱き癖をつけると、多人数管理できない。泣き叫ぶ幼児は放置しつくして、泣いても無駄だとさとらせるべし」であるということを聞いた。

保育士やパートの人数には限りがある。園の運営、ということでいけば、少人数で管理がきちんとできる組織が利益を生む。

ここである。少人数でやると一人一人に寄り添えない。寄り添いたくて寄り添うと、他の勤務者からのイジメがはじまる。

あんたがべたべたするから、この子がかまってもらえると思って泣き癖が付く。あんたは毎日24時間この園におるんかい!!!(怒)

という怒りである。

要は「私たちに迷惑をかけるな」である。


この心理には既視感がある。弱い者は見捨てるしかない、というやつだ。私も思い当たるとことがあり、心が痛む。

つまりは猫である。子猫の埋葬を最近でも3体行った。なんとかして、あげられなかった。

過去に伝え聞く「姥捨て山」もそうだろう。勿論「捨てられるべき」男性老人もいたであろうが、やはり女性の方が長命である。

「こどもらの迷惑になりたくねえ」といって、山にはいって生きていければよし、生きていかねばゆるやかな餓死となるだろう。

村であれば、他家の老人が山に自ら入れば、村八分という面もあり、自身も諦め山にゆく、ということもあったのだろう。


幼児教育に似たところがある。男女とも平等に働く。これは勿論だ。であれば0歳から保育施設に預けるのが「正しい日本人の所作である」となってしまう。働かない選択をすると、その働きのしんどさから「優雅ねえ」とバッシングをぶつけることになる。

一番弱い幼児はしたがって、泣いてもだれも来てくれないことをいつか学ぶ。そのことを学ぶことがはたしていいことなのか。

「誰も助けてくれない」が0歳の時の厳しい体験から人生のデフォルトとなる。厳しくてたまらない時に、誰かにたよっても仕方がない、と心から学んでいるのだ。

鬱になる。薬しか頼みの綱はないのだろうか。

臨床心理士に相談するなどの手もあろう。だが学校等なら無償でも、自己負担であればなかなかたどり着けまい。


この流れは、余り良いようには思えない。だが「なにを悠長なことを言っているのか。甘いことを言っているのは自身が甘やかされてきたからだ」と言われれば黙るしかない。

そう、私自身は人とうまくやれず、幼児のころは「世界」が恐ろしくて、逃げ隠ればかりであった。隠れる姿を親が見て心配してくれた。ありがたかった、としかいいようがない。

一体どうすればいいのだろうか。


制度的に3歳までは育児勤務を義務化する、などという財政的に難しい案になるだろう。努力義務だとなかなか財力が乏しい会社は無理である。在宅勤務も余力がない会社にとってはどんな寝言か、となっているではないか。

保育施設が余裕を持てること、高額な保育費を払える親(たくさんの保育士を余裕をもって雇えて、放置の方針を取らずともよくする)向けの施設に入れること、ぐらいだろうか。だがそんな施設に入れる余裕は普通はない。

キチンとした方針を首尾一貫で行える園を多くする。そういう方向しかないかもしれない。

(0歳児のこころは本当に地獄のように怖いようです。その泣き叫びはすさまじいということです。。)


お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。