
Photo by
soyo37
5月5日 超越的覚知を獲た卓立無依の自在人。
深き現実を徹見するに足る能力なき人々は、自己を取り巻く現象的多者界の限りなき去来転変に眩惑され、感性的領域を一歩も踏越することを得ず、ただ全世界にみちあふれる千姿千態の諸物の際涯なき矛盾対立を見るのみであるが、超越的覚知を獲た卓立無依の自在人は、全感性界に遍満する存在流動を次第にひきしめつつ、霊魂の秘奥に集中し、無限に拡がる動性を実存の深処に凝縮して、一挙に宇宙的動性そのものの本源にまで飛入するのである。
まさに美文といおうか。あるいは単に昔の人々は自然こうした文章の中に在ったのか。
だが個人的には古臭いとは感じない。言い回しは重いかもしれないが、内容は心を浮き立たせるような面さえある。
何しろ(もちろん私が、とはいわないが)人は自在人となる可能性、あるいは未来、あるいは時期があり、自在人となればなんと「宇宙的動性そのものの本源にまで」「飛入」する、ということなのだから。
不安な状態で、「この世の生」はあると思う。日々、想う。
不安が不安のままで終わるだろう、という諦念のような思いもまた、ある。
なので人はそうしたものの「本源」、本能的に求めるものなのだ、と思う。
答え、という形では、たぶんないだろう。
だが、「本源」のようなものがある気はするのだ。
すべてを含み、あるいは表現者によっては「一」であったりあるいは「神」であったり。
そうした「かまえ」としてあるだろう存在、あるいは状態。
そこに限りなく人は、
あこがれるのだ、と感じております。
(本源。深淵。原初。川の源泉みたいなものでしょうか)
いいなと思ったら応援しよう!
