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日記1月31日。 #日記

森博嗣氏の新書、「ジャイロモノレール」に書かれていた、「外に探すのではなく、自らの中にあるやりたいことを見つけること」について考えてみたい。

森氏はその著書によると、工作少年で、身近な機械の仕組みが気になり、分解したりするのが楽しくてしょうがなかった、とおっしゃる。さて、自分はどうかと振り返ると、どちらかというと虫取り少年であった。

子供の世界は、私の認識では男だと9割は野球男子、1割はひょろ白いじめられインドア男子、という感じだ。いまはだいぶ違うのかもしれないが。

私は3月生まれではあるが、子供の時は比較的体格に恵まれていた。しかし精神面での発達は遅く、口で悪口を言われるとすぐ泣きそうになり、悪口を言った子をその後とことん敬遠する、というたちだった。やはり同学年でも、低学年の時は生まれた時期の差は大きい。精神面での弱さから、人と交わり、いっしょに野球をする、ということはできない。しかたなく家でTVを見たり、絵本を見たり、という幼少期であった。すると、身近にいる昆虫が気になる。ただで手に入る生きたオモチャの感覚である。”家にばっかりいんと、そとで遊んできなさい”(私は神戸出身)と言われると、いじめっ子は怖いがこそこそと虫取りに出かける日々であった。

今考えてみると、”人間関係に対するストレス耐性が低い、結果的な虫取り少年”だったとでもいえるだろうか。

しかし例えば私が4月2日生まれで、その学年の中では一番年長(範囲は1年であるが)であったらどうだったろうか。多分あまりかわらないだろう。1年で人間関係へのストレス耐性がそれほど違うとは思えない。

結局人は生まれついての嗜好があるのだと思う。私は機械のカラクリにはときめかず、例えば虫の、怪獣の、怪人の、ヒーローの表面的なかっこよさにときめくたちであったのだ(そしてこっそりヒロインにも)。

工作少年には、なれないだろう。

いまさらながら、そのことを残念に思ったりしてもしかたがない。その嗜好を見つめ、やりたいことをやっていこう。

そう思っている。そのことを密かに大事にして、好きな絵(版画)を、好きなように”表面的なかっこよさを求めて”制作している日々である。

そしてそれは、結構愉しい日々、なのである。

自身の本質的な嗜好を、恥ずかしがらず、人目を気にせず、見つめてすきなように研究発展させること。

これこそが冒頭の、森博嗣氏の教えの本質だろうと、思っている。

(森博嗣氏著書でもう一つ気づかされたのは、理系的情報に自動的に耳をふさいでしまう癖です。どうやら無理やり算数を”勉強”させられたトラウマで、そうした情報があると知ろうとする気持ちが自動的になくなるようです。ですがもはや勉強する必要はない。オープンな気持ちで理系的情報をゆっくりでも受け入れられたら、と思っています)

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豆象屋
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