8月31日 きれいなジャイアンときれいなオッサン。
言葉に対する感覚、というのは、基本生まれ育った土地の言葉により大きく違うと思う。
私は神戸で生まれ、18歳まで神戸に住んだ。大阪に住んだことはない。
学校は播州地区であったので、すこし語尾が違うことばがあったが、ほぼ一緒。
大阪の人とはあまりいっしょに働いたことがないが、大阪人に”お前の関西弁はおかしい”といわれたときは、正直殺意を抱いた。
いまだに思い出すだけでむかむかする。まじめに、むかむかする。
基本私は属性(性格)から、ツッコミよりはボケであるのだが、結構つっこみに傷つくほうだ。
なので、他の地区に住んでみて楽だったのは、”日常会話で(反応してはいけない)厳しいツッコミ”が基本なかったことだ。
だがいいとこどりをすれば、ボケ、格好つけることがかっこ悪い、という文化は大好きだ。
露悪的でいることが心地いいという感覚、といってもいいだろう。
このあたりも関西弁が本質的に持つ性格だろうと思っている。だがたぶん他の地区ではあまりわからない感覚だろう。
もしかすると"芦屋地区”では違うかもしれないが、芦屋の知り合いは皆無だ。
で、オッサン。このことばは標準語ではだいぶ貶し要素が高くて、純粋な東京人が自分をまじめに”オッサン”と表現することは基本ないのでは、と思っている。
まあ、推定ですが。
多分自分のことは”オジサン”というのではないだろうか。
だが、私の関西弁感覚では、自分を”オジサン”と表現する奴は”気色わるい”と思うのだ。
”ジ”が”ッ”に変わるだけで、なぜこんなに受ける印象が違うのか。
多分それぞれの言葉に燻薫する”ドクサ”の量が多いのだろう。言葉を聞くだけで、イメージが渦巻くのだ。
あんなおっさん、こんなおっさん。
股引、鉢巻き、妙に白くて首の部分が開いたシャツ(バカボンパパ的な)。
ああ、あんなおっさん族に、自分は知らぬ間に取り込まれていたのか。
残念でしかない。だが”自らを卑下して表現する”のが関西弁の特徴でもある(と個人的には思っている)。
しかし”イケオジ”なんて聞くと虫唾が走る。
それこそキモい。”イケ”も”オジ”も苦手過ぎる言葉だ。
(だがまあ、オジサン、よりも”オジ”のほうが、うまくバカにした感じが盛れており、語感的にはゲジゲジの”ゲジ”を個人的には連想できるので、そこまで嫌ではないかも)
自らを”イケオジ”と称する人に会ったことはないが、ギャグならいいが真面目に思っていたら堪らないだろう。
せめてはジャイアンが綺麗になったように、
きれいなオッサン、位をめざすのがいいのだろうか。
とても略しにくい言葉、
”きれオッ”
(たんなるブチ切れ男みたいですねー(´;ω;`) まあ”きれジャ”も言いにくすぎますがー)