10月25日 名言好き。
昨日は久方ぶりにジムに行った。
先週は版画関係でいろいろあり、行けていなかったので、ちょっと不安があったのだが、涼しくなってきたので、結構手ごたえがあった。そして空いていたのもよかった。
人が多いと、気が散るのだ。
この数か月、チートデイと称して白米ドカ食いを繰り返していたので、内臓脂肪が多くなった感じがあった。
で、炭水化物は豆からにする方向で1か月ほど過ごしているが、そしてなるべくプロテインもいいが、実際の胸肉を摂るようにしていたら、なんとなくだが体の組成が整ってきたような気がする。
身体は数か月まえの食事がもろに効いてくる。いろいろ工夫していこう。昨日は乾燥キャベツを注文してみた。今高野豆腐に切干大根、わかめ、といった乾燥食品を多用しているが、乾燥キャベツも腐らなさそうなので期待している。
体重は昨日夜は63.7kg、9.1%。今朝は64.7kg、10.1%。
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「宗教とは何か?」
「正しい無限を感じること」
鈴木大拙
押し付けられる宗教は嫌なものだ。自然にその場にあり、それに接することで「無限」という概念に相対することができる体験があれば、それは「宗教」であるといってもいいのだろう。
で、そういう宗教ならちょっとはやってもいい気がする。
鈴木大拙の「宗教」はわたしにとってそんな感じ。
もっとも厄介な奴隷状態とは、
自分自身の奴隷であることだ。
セネカ
自身の人生のなかでのドクサ、思い込みは計り知れない。ともすれば”生き伸びる”ためのDNAからの要請でもあるので、それを直視することも実は少ない。
だがいくらDNAだといっても、原始時代と現代は違う。特に栄養摂取面では段違いに変化した。
そういった思い込みをまずは把握して、そこから自由になること。
池田晶子さんはもし子供をもったらそういう風に指導する、とおっしゃていたと記憶する。
思い込みを外し、完全自由になりなさい。
メッセージとはかくあるべし、と思う。
芸術は
神の模倣
ルネ・ジラール
神とは逆説的に、永遠が永遠であるということを説明しようとする言葉のことだ。
芸術は”神”という仕組みをとおして、みずから永遠を紡ぎ出すことを志向した結果であると思う。
人は目的を達成するために
手段を選び、手段によって
目的へと達成する。
トーマス・ネーゲル
生きる為に生きる。金をためるために金を貯める。なにもいっていないような感じがするが、でもそうではないようにも思えるのはなんでだろうか。
手段を見つけて、墨守すること。その結果を期待せずに”寝て待つ”こと。つまりはとにかくいつまでもいつまでも継続すること。
そういうことではないだろうか。
カントの晩年の散歩と昼食と午前中いっぱいの思索のように。
思考は極端なるものによってのみ進み、
中庸なるものによってのみ存続する。
ポール・ヴァレリー
極端な人が、極端なことを言って嫌われ煙たがられ、不幸に朽ちてゆく。
だが中庸なるもの、とは、結局その極端さがある意味では必要であったことを魂で感じて、それを維持存続深化させる作用やひとのことをいう。
新しいものの中で最もすばらしいことは、
人間の最も古い要請にこたえることだ。
ポール・ヴァレリー
人間の思うところは基本変わらない。生老病死、であるだろう。
そのあいだにあがく、あがく。ひとはそれぞれ、与えられた間(身体)で、分け与えられたかりそめの魂(ここは異論があろう)でできる限りあがく。
そのあがきの方向を”あたらしいこと”として答えに導くことが、進歩である。
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名言が好きだ。
いままでもいろいろなところに書いてきたが、読み返すたび「なるほど」という気持ちになる。
ただ読むだけでじわりくる。それだけで酒を飲んだりごはん3杯おかわりできる気がする(自分時間禁酒と、なんちゃってグルテンフリー継続中ですが)。
そんな言葉をいままた、書き溜めている。
なかなか愉しい。
(賢人、っていますよねー)
お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。