3月24日 アジールを探して。
「アジール」というのは、「無防備であっても傷つけられるリスクのない場」のことです。
内田樹の研究室 2024.2.19
私は内田樹先生の語りが好きで、結構本を読んでいるが、ある種の人々には刺激があるいは強すぎるかもしれない。
池田晶子さんや森博嗣さんの書かれることもそうだ。読んでいて「あ、この人の考え方は聞いていて自身に気持ちが良い」と思う時、人は本を読むのだろう。
私が教育の場から(学生として)はなれて(別に教育者ではありませんので)偉く時が経ってしまったが、今でも少し「学びたい」という気持はある。
例えば美学。心理学。宗教学。絵は技術として学びたい。
ドイツ語は読めないが、ドイツ文学あたりもやってみたい。
こうして並べてみると、全く”稼げそうにない”学問ばかりである。敢えて言えば心理学が微かに??
ということはわかっていた、学生時代に。なので、残念ながら大学は学ぶ場ではなく、「卒業資格を得る場」であった。多分自身は学ぶより”作る”ほうがやりたかろう、とも思っていたので。
ということで今ここにいる。会社ではたまに「作る」に関係するようなこともできた気がする。自分で作るというより、「お願いする」という立場であったが。
2015年にご縁があって版画工房に所属した。細々ではあるが、9年目となる。ずぶずぶのサラリーマン男性、というのは70人余りの所属者の中でもあまりいない。
だがそこは、私にとっての「アジール」であった。初めは「こんなおっさんですみません」という事ばかり言っていたが、描いている絵をご覧いただけば、ほらもうひとりの「好き者のおっさん」であるからだ。
だれもけなさない。けなされそうだな、とも思えない。発言に予防線や保険を掛けなくていい。いう相手を厳選しなくていい。
「描くことがすき」ということで、みんな共通している。年代も、国籍も、性別も、本質的には関係がない(2次的にはちょっとあるかも)。
こういう場は稀有である。こういう場を作ろう、と主催者である先生が思われなければ、ここに出現していないのである。この時代、この場所ならではのことである。
ということで、まあ、9年目ともなればすこしいろいろ考えたり、スランプ的な気もちにもなる。だがそういう落ち目があって、改めて自身を見直す機会にも、なるのかもしれない。
(プロ志向の方が多いので、とても刺激がある点も素晴らしいです)