日記5月20日 私たちはみな年のいった子供たち。
ルイス・キャロルこと、チャールズ・ラトウィッジ・ドジスンは、少女アリス・プレザンス・リデルへ語った物語の続編として生まれた「鏡の国のアリス」の巻頭詩の中でこう述べる。
私たちはみな年のいった子供たち
床につく時が近づくと むずかるのだ
(高橋康也 訳)
これはすなわち、キャロル流の峻厳な比喩であろう。
つなりはキャロル流の「死を想え」、メメント・モリ、である。
床につくまえに、ひとはみなむずかるつまりはあがくだろう。
溺れまい、あるいはこの生のなかで「なにかをなしたい」「なにものかになりたい」と。
それが出来そうな、知恵や策略や天与の才の有無にかかわりなく。
「みんな」が「子供のように」
無邪気といえるのは、子供時代の時だけだろう。
年を経てのあがきは、無残で、残酷で、目をそむけたくなるような醜悪さである、とあるいはみなされるであろう、
が、
そうであろうが、
だがしかし。
それがすべてのひとが赴くところ。
生老病死、生まれてからは日々年老いてゆくのみ。
死に向かって行進するのみ。
それが人生。
キャロルがアリスに、アリスのものがたりを読むすべての年老いた子供たちにつきつけた墓碑銘の中の一句のような、
メメント・モリ、である。
(キャロルの深い諦念のようなものを、感じます)
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