KJ法 その本質とは
こんにちは豆蔵note編集室です!
今回は豆蔵技術情報より、【KJ法 その本質とは】をご紹介します。
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それではどうぞ!
岡村 敦彦
前回(第5回「KJ法四つの誤解」)は、KJ法とは何か?の前に、KJ法とは何ではないのか?について、いくつかの注意点をお伝えしました。もちろん世間一般のKJ法への誤解は四つどころではないとは思いますが、それでも如何に誤解されているかという片鱗でも気づいて頂けたのではないでしょうか。
はじめに
そしていよいよ今回はKJ法とは何か、についてお話しましょう…。と言えれば良かったのですが、前回も触れたようにとても短い字数でお伝えできるものではありません。
ですが、そこをあえて一言!で表現してみましょう。
Abduction(アブダクション)
この言葉、辞書を引いて最初の語義を見てしまい、あまりいいイメージを持っていない方もいらっしゃるかもしれません。しかし、実は非常に奥深い概念を指す重要な用語なのです。
アブダクション
アブダクションという単語に何故良いイメージが無いかですが、まず翻訳してみましょう。
Abduction = 拉致
いきなり恐ろしい訳語が来ました。他はどうでしょうか。
誘拐 kidnapping, abduction
略取 abduction
捕物 apprehension, imprisonment, arrest, abduction, seizure, taking prisoner
捕獲 capture, catching, seizure, arrest, nabbing, abduction
勾引 arrest, custody, detention, apprehension, capture, abduction
誘拐犯 kidnap, abduction
捕り物 capture, arrest, abduction, apprehension, seizure, taking prisoner
うーむ、やはりどこを見てもイメージの悪い言葉ばかりです。
では、以下の言葉は聞いたことはありますでしょうか。
Deduction
Induction
これらの英語としての単語はあまり聞き覚えが無かったとしても、それぞれが演繹法,帰納法と訳されており、訳語の方は良く聞く言葉かと思います。
つまり、Abduction もこれらの言葉と同列の趣旨で使われる言葉、ということになるのですが、あまり演繹や帰納ほどには知られてはいないかもしれません。
論理学に対しての詳しい話はここでは避けることにしますが、簡単に言えば演繹法は、順序立てて証明して行く前向き推論です。
・犬は飼い主の言いつけを守る。
・私の飼っているチワワのツユちゃんは、犬である。
・しかしツユちゃんは我が儘なので、飼い主の指示にはあまり従わない。
あれ・・・失敗しました。すみません、これは良くない例でした。
気を取り直して、一般に多く使われている題材にしましょう。
・人間は死ぬ(大前提)
・ソクラテスは人間である(小前提)
・故にソクラテスは死ぬ(結論)
このように演繹法は2つの前提から結論を導く、いわゆる三段論法としても良く知られています。
では、これを UML のモデルとして表現してみましょう!というようなイベントを以前豆蔵でも何回か実施したことがありましたが、その話はちょっと横に置いておくとして…。
一方、帰納法は結果から一般的・普遍的な規則を導く後方推論です。
・ソクラテスは死んだ。プラトンも死んだ。
・ソクラテスとプラトンは人間である。
・故に人間は死ぬ。
物事を考える時の推論方法としては、上記のような演繹的に証明する方法と、帰納的に事実を収集して原因を辿る方法があるわけですが、ではこの2種類だけで事足りるでしょうか。
実は推論的に物事を考える思考方法はこの2つだけではない、ということが今回の趣旨になります。
第三の推論方法
「そんな第三の手法なんか必要なのか、演繹と帰納でトップダウンとボトムアップの両サイドのアプローチなんだから、それで十分だろう」と考える方もいらっしゃるかもしれません。
本当にそうでしょうか。
どちらにも共通するのは、事実に基づいた思考方法ということになるかと思いますが、そうなると、事実かどうかはまだ分からないような事象(=仮説)はどのように導けば良いのでしょうか。
たとえば、
「リンゴが木から落ちる」
「猿も木から落ちる」
リンゴもサルも重量がある
という事象からは、帰納的には「重さのあるものは下に落ちる」という結論になりそうです。しかしご存知のように、ニュートンはそこから万有引力の発見に至ります。
そこには既定の事実を発生させている原因に対して、「何故下に落ちるのか」「そもそも本当に下に落ちているのか」という発想(ひらめき)が無ければ、「実は質量のある物質同士がお互いに引かれあっているのではないか」という結論(仮説)には通常では至りません。そのためには、これまでとは異なった思考方法が必要になるのではないでしょうか。
前置きが長くなりましたが、それが abduction ということになります。
なぜそうなるのか?を徹底して考えながら柔軟な想像力・発想力を発揮させて、驚くべき仮説を導き出していく思考方法です。
拉致や誘拐という語感からは、何かをどこからか強引に無理矢理に連れてくるような印象が感じられますが、川喜田氏はそれを「いろいろな資料から、なにか新しいアイディアを引っ張り出す」「モヤモヤとした情報群の中から、いっそう明確な概念を掴みだしてくる」と表現しています(「発想法」より)
KJ法の原典とも言える川喜田二郎氏の書籍名は「発想法」、その中で「発想法という言葉は、英語で仮にそれをあてるとすると、abduction が良いと思う」と書かれています。
ただ、「アブダクション」自体は川喜田先生が作った用語ではないし、実ははるか昔からある言葉のようです。
一応 Wikipedia を見てみることにしましょう。
先ほどソクラテスの名前を出したから、と言うわけでもないでしょうが、なんとアリストテレスのギリシャ時代まで遡ってしまいました。その後の時代で演繹・帰納と同列の概念としてabduction に脚光を浴びさせたのは、アメリカの学者であるパースのようです。
それで、結局どういう意味なのかというと、やはりwikipedeia には、下記のように表現されています。
これでようやく、なんとなく皆さんのイメージの中のあるKJ法と近づいて来たのではないでしょうか。
前回紹介したのは、言葉や文章として記述・表現(イヌ、イルカ、ネコ、ケムシ等)したものに対して、それら関係する概念同士をグルーピングし、そのグループを説明するためのラベルに統合して行く手順でした。
この場合、それらの言葉や文章が上記でいうところの「観察された事実」であり、統合したグループ表現が「最良の説明への推論」ということになるかと思います。
Abduction=「発想法」、こうなると演繹法、帰納法という専門用語よりも、むしろわかりやすい「ことば」に思えてくるような気がします。
(ここでまた弁証法まで持ち出してしまうと、ちょっと前に流行ったアウフヘーベンも出てきてしまうので、それはまた別の機会にしたいと思います。)
ではこのアブダクション(発想法)で川喜田氏がやりたかったことは、何なのでしょうか。
KJ法の場合、単なる技法ではなく体系化された哲学とも言える為、実施する側にはそれなりのマインドが重要となってきます。こうしたマインド重視の側面のあたりはアジャイル業界(?)とも通じるものがあるかもしれません。(無いかもしれない)
ここで、KJ法マインドと言われるものを紹介しておくことにしましょう。
1. 「自由」 2. 「平等」 3. 「愛」(日本能率協会「経営のためのKJ法入門」より)
いやはや、ものすごいところまで来てしまいました。
これはもはや技術系のサイトで書いて良いことなのかどうか。。という事は気にせずに、先に続けましょう。
そしてKJ法の目指すもの、それは「人間のルネッサンス」。
サスガに今回はもう、オーバーフローのようです。
To Be Continued...
前回の予告通り、今回は「KJ法は何をしようとするものなのか?」
そうした「KJ法の本質(の一部)」については、触れることが出来たのではないかと思います。
続きは次回にしましょう。(ということで、次回でKJ法は終わりとなる予定です)
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