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受験と私と勉強②

資格等の試験を除けば、
多くの人にとって、
いわゆる「受験生」は、
高校受験や大学受験で最後だろう。

でも私はさらにもう一度、受験生となった。
大学院受験だ。
学部卒では研究職になんて就けないからだ。

一般的には、卒業研究をさらに発展させるため、
そのまま自分の大学の院に進学することが多い。
エスカレーターの進学なら、
入学金もかからないしね。

だけど普通じゃない私は、
他大学の院に進学することを選んだ。

それは意外にも、教授の勧めであった。

通常、ゼミに所属するのは4年生からだろう。
私の大学はたまたま、ゼミの所属が3年生からだった。
たった1年という短期ではまともに研究できないし、
就活する子は半年くらいしか時間を割けないからだ。

ゼミに所属して教授と初めて2人でランチをしたとき
(注:教授は女性のためいかがわしい食事ではない)

「あなたは他大学院に行った方がいいと思うの」

急に教授が言い出した。

「だって、研究を生業にしたいでしょ?それなら、お金がある院に行って、実績を積まなければ。寂しいけれど、その方がいいのよ。」

実際、私が所属していたゼミからは、
毎年数名の他大学院進学者を出していた。

そもそも理系大学は、研究してナンボである。
そして、とにかく研究にはお金が必要だ。
学生が講義でデモをするような、
ちょっとした実験ですら、数万のお金がかかる。

卵が先か鶏が先かという話なのだが、
研究が評価される大学はたくさんお金があり、
最先端の設備で研究ができるため、
さらに評価されてお金が入る。
一方で、お金のない大学は、
研究費がないためますます研究が進まず、
一発当てない限り、一向にお金が入ってこないのだ。

私の大学は、残念ながら後者だった。

まだ3年生の訳の分からない私に、
サラッと重要なことを言ってのけた教授。
この人のおかげで、私はまた受験生となった。

じゃぁ、どこに進学するかだ。
教授が「研究費」と言うからには、
お金持ちの学校に行った方がいいに決まっている。

書き忘れたが、大学院受験は、
少し普通の受験とは異なる。
もちろん学校単位で入試があるのだが、
その前にどの研究室に行きたいのかを決め、
事前に見学なり面談なりして、
希望先の教授陣に進学の意を伝えねばならない。
なんだか変なシステムでしょ?
でも、お互いのミスマッチを防ぐ意味でも、
すごくいい方法だ。

こうして私が選んだのは、
卒業研究と近い分野の研究ができる、
医大の研究室だった。

当時は、医学部の学生ではなくても、
修士課程として医学部の大学院に入るという仕組みができたばかりだった。

デメリットもあるのだが、
お金持ちということだけでなく、
こういう大学院には以下のようなメリットがある。

1. 内部進学者がいない
学部からの内部進学者がいないから、みんなフェアに大学院一年生から、研究スタートになる。
他大学からの進学者が肩身の狭い思いをせずに済む。

2. 少人数制である
持ち上がりの学生がいないということは、自ずと一教官あたりの学生の数が少なく、その分手厚く指導してもらえる。

3. 入試がフェアだ
内部進学者がいないため、学部の講義内容を大学院入試に出すというようなマネができない。
実際、私が受験したときの外国語試験は、
TOEICのスコア提出だった。

4. 学生のモチベーションが高い
みんな勉強したくて、わざわざ受験している。
就職浪人のような院生はいないのだ。

志望が決まると、卒業研究と並行して受験勉強を始めた。
もちろん、かなり忙しい。
過去問もなく、ぶっちゃけ何を勉強したらいいのかわからないから、普通の生物学科の学生が学ぶことや、そこから医学に関連する分野を広くくまなく勉強した。
でも、高3の受験勉強と違い、全く苦痛ではなかった。
同じ受験勉強でも、何故こんなに違うのだろうか。
私なりに分析してみた。

受験勉強の違い

大学受験
❇︎興味がないことを勉強しなければならない
❇︎まさに受験のための勉強
❇︎教養にはなるが、その後使うか不明な知識
❇︎文字が多くて面白くない

大学院受験
❇︎興味がある分野の勉強
❇︎受験だけではなく、その先に繋がる内容
❇︎ライフサイエンス系はイラストが多くて教科書が楽しい

大学受験で勉強した国語や英語、日本史なら、
その後の人生を豊かにする意味で役に立つだろう。
でも、複素数もベクトルも、
大学受験以降私は一度も目にしたことがない。
ぶっちゃけ今の私は、因数分解すら出来ない(笑)

だから勉強しなくていいというわけではない。
私には、そういう勉強が合わなかっただけだ。

そして、もう一つだけ、明確な違いがある。
それは、勉強する理由だ。

私の周りは良くも悪くも、
幼少期から勉強熱心な家庭の友達が多かった。
親によると、私は割と小さな頃から医師になりたいと言っていたらしいが、今になって思うと、周りに影響されただけのように思う。
そんなやつ、医者にならなくて本当に良かったと思う今日この頃。

そりゃ大学の受験勉強が楽しくないわけだ。

一方で、大学院受験はどうだろうか。
今よりも、もっとワクワクした環境に行けると思うと、たとえ机の上の勉強も楽しかった。

ということは、
もし私が本当に医者になる心構えがあったなら、
大学受験の勉強だって、きっと少しはワクワクしたはずなのだ。

こうして大学4年の夏休み、
私は無事に大学院に合格した。

ところがだ。
それでめでたしめでたしにはならないのが私だ。

ある朝のこと。

「大学院の2年なんて短いからさ、早く来れない?」

進学先の教授からそんなが電話が来た。
まるで飲みの誘いのような軽いノリだが、
果たしてそんなことはできるのだろうか...

さっそく、大学側の教授に気を遣いながらも、
それとなく相談してみた。
すると、またしてもビックリ回答ではないか。

「学部長にも相談したんだけど、
あなたの進学先は姉妹校でも何でもないから難しいんだけど...
卒業研究をうちで仕上げてからならいいってことになったわよ。」
「チャンスだから、早く卒研終わらしちゃいなさい!」

みんなそんなに早く私を大学から追い出したいんだろうかと疑ってしまう。
でもそうじゃなかった。
自分の功績よりも、学生の将来を優先した教授と学部長が、ある意味スゲー人なのだ。

卒業研究が終わった12月。
私は3月まで籍を大学に残したまま、
研究生というよく分からない身分で、
一足先に大学院での研究を始めることになった。

大学受験と大学院受験を経て、今思うこと。
勉強する動機、それに尽きる。
そして、できれば自分に合った、
良き教育者に出会うことだ。
たったそれだけのことで、学ぶことが楽しくなる。

娘はまだ一歳過ぎだ。
毎日遊びながら、スプーンの使い方、おしゃべり、靴下の履き方、いろんなことを覚えている。
そして何か新しくできることが増えると、
世界が広がって物凄く嬉しそうだ。
それだって、立派な生きる勉強だし、
本来学ぶということは、こういうことなんだと思う。
その楽しそうな姿が、この先大人になるまで続いてほしいと思う。

そのために親として何ができるか。
新米ママの私はまだまだ手探りだが、
少なくとも私のような苦い経験はさせたくないというのが、親心だ。


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