あのウイルスってほんとうなの?27
一度死んだから言えること!
◎閑話休題2
ところで、今までに私がどんなに大変な目に合っていたかを、綴ってきたのは、はっきり言って私の愚痴みたいなもので、吐き出すことですべて終わったことにするためです(笑)
人は”意識の存在”なので、意識するかしないかでは答え=成果が変わります。料理を思い浮かべて頂ければ、わかると思います。誰かのための料理はエネルギーが入りやすいので、ただ作る自分の為の料理より旨いものです。
私は自分にリハビリ時にこれを実行して、奇跡的なスピードで退院をしました。ただPTがなすままに身体を触ってもらったり、自分で動かしてもそれは疲労にしかつながりません。
そこを触れている理由は?、その筋肉はどこにどう作用しているの?、その筋トレはどういう行為を目的としているの?と、毎回毎日担当のPTたちに質問しては理解し、それを意識して訓練を受けていました。
筋トレでも「そのトレーニングがどの部位に聞いているとイメージした方がより効果的!」というコーチングを受けるのは、そういう事なのです。
リハビリではそれを使っていたので、早期退院に繋がったのです。その話は次の病院での事なので、時系列に沿って何れは書かせていただきますね。
ですから、この病気になってからの事を、洗いざらい吐き出すことで無意識の領域にある、恐れや痛みや苦しさとやっと別れを告げられるのです。それがトラウマというものです。実際に喉の件を書いている時は、咳が出ましたし、久しぶりに痰も出ました。面白いものです(笑)
そして、一番伝えたいことは、今の私は健康面での不安は全くありません。あの”ウイルス”による痛みも苦しみもありませんし、特別に後遺症もありません。
この日記に書いてあるのは、急性肺炎の重篤化により死にかけたことや、そこからの復帰や、多種多様な薬の投与による異常や、長期入院による弊害などを言っているのです。
そんなものは、”あの接種の副作用”に比べれば大したことはありません。明らかに人そのものがダメージを受けたり、全く違う形態変化や合併症を起こさせるようなものは、今の私には何にもありません。普通に暮らしていますし、もちろん食事制限もありません。
よいですか!あのウイルス自体は本当にあるのかどうかも、その感染経路もいまだに分からないのです。それ自体が何かの病気ではなく、それが引き起こしたとされるものであり、それさえ担当医から最後まで説明は無かったのです。
現場の誰も正解を知らずに、対処療法に命懸けで取り組んでいたのは事実ですが、あの接種に繋がるほどのものは無いのです。2年たって見渡してみれば、すでの世界のどの国でも収束しており流行ってはいないのです。そこにあるのは「らしい」「だったようだ」というあいまいなものだけなのです。
だったら私だってインフルエンザだったかもしれません。あの検査では両者を分ける事は出来ないと聞いていますしね。
また時系列で書きますが、私の居た一般病棟の隔離階自体は”暇”でした。暇すぎて経営の支障が出るので、私の部屋の倉庫になっていた病室を、検査入院専用に慌てて改装し、その後は3~4日ごとに患者さんが入れ替わっていました。
もちろんその階には、私以外にあのウイルス感染の患者さんはいなかったと聞いていますし、ほかの患者さんの大きな話声や、私には許されていない面会も、普通にされている患者さんもおられました。種々雑多な患者さんがその階にはいましたが、私と同病の方は居なかったのです。
ましてや私の前にも私の後にも、あのウイルスの患者は居ないのに、その間にもマスコミでは、私の地域の患者数も死亡者数もぐんぐんと上がって行っています。救急車の音もたまにしか聞こえません。静かなものです。
「おや?専用の隔離階では無かったのか?」
「マスコミの言う情報とは一体何なのだろうか?」
さて、あんまり私の辛い話ばかり読んでいるとイヤになると思いますので、今日は最後に”まめ師匠”との問答で気付いた事を、皆さんに少し公開してみましょう(笑)
【君は君の為に生まれたんだ!】
自分の価値や才能を誰かとくらべてはなりません
人を見て羨むことも要らないのです
だってその人はその人の人生を生きてるだけで
あなたと同じだし、その人もまた悩んでる
人を見て自分を疑ってる
自分を信じるコツは自分を辞めないことです
本やセミナーで言う成功術なんてありません
セミナーをした人が成功してるだけで
誰もが成功者にはならないのであれば
それは確定されたものでは無いという事なのです
もしあなたが成功を願うのなら
成功した人の話を読んでみてください
「私は私を辞めなかった」とそこには書いてある
スティーブ・ジョブズだって
みんなに馬鹿にされ否定された
だけど彼は自分を辞めなかったし信じ続けた
だから私たちはこうして恩恵に預かっている
自分を辞めないこと・・・
それを努力というのです
by まめぞう
続く