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森歩きは教会で祈ることに似てるかも
エピソード51は「森を歩くこと」についてバクとナミンで話しています
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ひとりでふらっと森に行きたくなることはしょっちゅうあるけど
「ヘンゼルとグレーテル」の森迷いを思い出すし、自分の方向感覚への信頼がゼロなので、森を歩く時はいつも親しい身近のメンバーと一緒に。
森を感じ対話することにココロが向くので、そんな時は普段より口数は少なくネガティブなトピが話題にのぼることもなく、私たちは静かに巡礼者のように歩く。2人でいても実質、少し神聖なひとり時間。
気軽にスーパー銭湯や温泉でジャブジャブ命の洗濯ができない
カナダ住みの私にとって
森を歩くことはココロをほぐし、自分を労わり、エネルギーをチャージできる大切なセラピーだったりする。
湿った土と木々や苔からたちこめる香りを深く吸い込んで
私自身も実は自然のサークルの一部でいることを思い出し調和して。
太古の昔、元々いた場所に還ってきた感覚。
森はどんな私でも無条件に包み込んでくれる偉大な存在で安心して私はココロを開く。悩みや愚痴は解決したりしないけど、まぁええか、なんとかなるわなと思わせてくれる。
コントロールできない事は宇宙にお任せする勇気も湧いてくる。
歩いているうちに一方通行気味の主観に支配されていた私のPerspective(視点、目線)が溶け出して、空の上から物事を眺める気持ちの余裕が湧いてくる。
宗教を持たない私にとって森を歩くことは教会で祈ることやお寺で手を拝わせることと似てるのかもしれない。
見えない大きな存在に向かって祈るように今日も森を歩こう。
そーっとバラの剪定をしながら
細長いペーパームーンを眺めながら
早朝の森を歩きながら
聞いて下さったらうれしいです