話の止まり木⑦髪結の亭主じんちゃん
おはよう、こんにちは、そして、こんばんは 世界!
豆と小鳥
はなしのとまり木#7も
ナミン:作 バク:朗読&イラストの
オリジナルショートストーリーをお届けさせていただきます。
ポッドキャストとyoutubeはこちらになります。
私の旦那じんちゃんはいわゆるヒモ、髪結いの亭主である。
そして言葉の通り私は髪結いを生業として22年、
母親が経営していた美容院を継いでいる。
若い人が行くスタイリッシュなヘアサロンではない、
昔からの地元のお得意さんで回ってる小さな美容院だ。
大雨が降ると時々、氾濫しかけるが今まではギリギリセーフな
危なかっしい川沿いにちんまりと建っている。
店でかけてるラジオを消せば、川のせせらぎが微かに聞こえてくるのが
良い。店を閉めた後にせせらぎをBGMに片づけをするのが私の癒しの時間。新規のお客さんがほぼゼロの状態で、お得意さんが皆、
昇天してしまった後はどうなるのか多少、心配になるけれど、
その頃にはきっと私とじんちゃんも同じく天国組だろう。
今のところはもじんちゃんと私が食べていくのにはなんとかなっている。
夜は晩酌をしながらちょこちょことおつまみをいただき、年に数回は近場の温泉旅行に出かけることができる程度には生活できている。
店の上にある私の住まいにじんちゃんが転がり込んで、
もうすぐ2回目の9月がやってくる。
彼は仕事はしないけど家事は得意だ。
料理は私よりずーっと上手だし、スマホのアプリをチェックして新しいメニューなどを積極的に作ってくれる。
めんどくさがらずに掃除もちゃんとしてくれる。
掃除や料理をしている時のじんちゃんの横顔は
修行僧のように真剣な面持ちで声をかけるのを躊躇してしまう。
実際、じんちゃんと暮らすようになってから我が家は
こざっぱりと機能的にバージョンアップした。
女の人なら家事能力の高い専業主婦のくくりに入るのに、
何故男性だとヒモに分類されるかが謎である。
じんちゃんの過去について尋ねたことはない。話したいなら自分から話すだろうと思っている。そしてどんな過去があろうとも、今のじんちゃんはその過去があったおかげで成立してるのだから詮索するつもりはない。
じんちゃんは元々、珍しい一見のお客さんだった。
見ない顔だなと思っていたら『最近、この街に越してきたらしいぜ』という話を近所の商店街の会長をしている魚屋のやすしから聞いた。
ちなみにやすしと私は幼稚園の時からの幼馴染のタメ年だ。
『越してきたと言うより流れてきたと言う表現の方がしっくりくるのかも』とやすしはタバコを吹かしながら囁いた。
ふーてんの寅さんのように風来坊じんちゃんは気まぐれにこの街にやってきたのだろう。
彼と出会った時、私はバツイチのシングルマザー、一人娘のまなみは東京の美容学校に上京したばかりで、さぁこれから自由と寂しさを満喫しようではないかと言うタイミングだった。
真っ赤な夕焼けが空を独占中の閉店近くの時間にじんちゃんはふらっとやってきた。彼の顔に白いタオルを軽くかけ、頭をシャンプーした時、顔にかけたタオルは彼の呼吸に合わせて気持ちよさそうに上下していた。
全てを私に委ね、リラックスしてシャンプー台に横たわる彼に理屈では説明できない愛しさがこみ上げてきた。
じんちゃんも何かを感じたようでカットが終わった後、
どうやら去りがたい様子で
店の片づけを一緒に手伝ってくれた。
物を動かす時の丁寧な物腰にさらに好感度があがった。
流れで「いっしょにゴハンでもいかがですか?」から恋は始まった。
ちなみにじんちゃんは世間さまからの評価ではイケメンには全く属さない。年齢は完全にオッサンに分類される52歳だし、頭の毛は物悲しくなってきてるし、お腹はポンポコリン、
長年、タバコを吸っているので歯は黄ばんでいる。
近所の果物屋の大将や喫茶店のママはじんちゃんの事を良く言わない。
「いい歳をして流れ者のヒモなんかに捕まってバカもいい加減にしなよ」とヒソヒソと何故かちょっとうれしそうに私に忠告してくる。
もちろん親切心からなのはよーくわかってる。
でも私は今、幸せなんだからほっといてもらいたい。
48年間生きてきてわかったことは世間からどう思われるかより、
自分がどう思うかを優先した方がハッピーでいれるってこと。
世間は私の人生の責任も尻拭いもしてくれない。
そして、何十年ぶりかに私は娘以外の人間を愛するヨロコビ、
愛されるヨロコビに感応しているのだ。
今日も晩酌の後のじんちゃんのマッサージが待ち遠しい。
もうすぐ日が落ちて月がくっきり顔を出すだろう。