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外見を整えれば心も整う【メンタル小話#1】
元々公務員として働いていましたが、メンタルダウンしてしまい、無職となりました。今は専業主夫として、家庭を支えています。
これまでの経験や、そこから学んだことを自分なりに発信してみようかなと思い書いてみました。
最後まで読んでくれたら嬉しいです。
よろしくお願いします。
■外見を整えることは、心を整えること
「身の回りの環境を整えることが、メンタルケアの第一歩」生活環境が乱れると、気持ちも乱れがちになる。整理整頓された空間は、心の安定を生み出し、ストレスを軽減する大きな要因になりますーー。
ここまではよくある話ですが、言いたいことは、
「外見を整えれば心は勝手に整う」ということ。
外見とは、外からの「見た目」のことですが、姿だけで無く、「生活行動そのもの」を指します。
■何故、「見た目」なのか
現代社会では心理学が登場してからというもの、やたらと人の心に関心が集まり、心のあり方が問われがちです。
職場ではストレスチェックをやらされる。ポジティブな心を保つ方法!などのHowTo本。カウンセリングによる心のケアなどなど。
心の事に着目され始めたのは、昭和ぐらいからであって、平成、令和と時代と共に、加速度的に「心」をコントロールする術を学ぼうとする流れがあります。これ自体はとても良い流れであるのは間違いはありません。
しかし、同様に、心とはどの時代も普遍的なものであり、大変なくせ者であり曖昧であることも事実です。心は頭で理解していても、なかなか操作はできない。
心を整えて行動に移そうーー。
精神を統一して、目的に向かって前進しようーー。
心の準備ばかりしてることはいないだろうか?
具体的な行動なら結果は具体的に変わります。
まずは、外見や行動から変える方が心を整えるのに手っ取り早いことがあります。
■修行僧のように
私もうつ病になりメンタルブレイクした時は、寺に行って修行でもしてみようかなと考えた事があります。
(実際はそんな状態に無いのですが…)
では、何故、修行すると心は回復していくのでしょうか?具体的に修行僧の日課を見ていくとわかってきます。
そこがコチラ↓
〚お坊さんのルーティン〛
朝4時⋯起床し、1時間の読経
朝5時⋯朝食 お粥と漬物
朝6時⋯掃き掃除、雑巾がけの肉体労働2時間
未だ9時前
朝9時⋯障子の張り替え 窓ガラスの掃除
朝10時⋯昼食 いつものご飯
朝11時⋯庭の剪定 芝刈り 竹林刈り2〜3時間
昼14時⋯おやつ ブレイクタイム
夕16時⋯夕食準備&夕食 いつものご飯
夕18時⋯坐禅 2時間
夜21時⋯就寝
生きる力 森田正馬の15の提言 より
お坊さんは朝起きて寝るまで、身体を動かし、生活の為の肉体労働をします。
師匠との禅問答では、個人的な悩み事を聞かれる訳では無いです。あくまで公案の問いに答えます。
坐禅中にも、これまでの人生の悩み、苦しみ、が頭の中で渦巻くことでしょう。それでも、個人の心理状態は問われません。基本的に無視され続けています。
この生活を毎日、分刻みで続けます。
そうすると、お坊さんはあることに事後的に気づくようです。質素で勤勉な生活をし続けることで、今までの悩みや憎しみもいつしか整い、透明で清らかな心になっている。あんなに悩んでいた将来の事も、大した問題ではない。あんなに悲しかった出来事も冷静に落ち着いた気持ちになっていることに気づきます。
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■外見を整えることは、内面の安定につながる
言いたいことは、「がむしゃらに、闇雲に働く」ということではありません。お坊さんの話はちょっとキツいです笑。極端にわかりやすい例として敢えてあげました。
悩みを解決しようとしたのではなく、シンプルに生活の為の仕事をこなしていくと、悩みはちっぽけに結果的になった。
つまり、
頭でっかちになり過ぎてませんか??頭動かす前に手を動かそうということです。
私も、起こりもしていない問題をやたらと想定し過ぎてしまう癖(予期不安)が大きいタイプです。病気になり事後的になったとも考えられますし、元々の気質であったのかもしれません。「考えること」は大脳皮質が進化した人類特有の能力ですが、逆にそれが足枷になっている人が多いのが事実です。
人生の問題は、解決しない問題も往々にしてありますし、時間が解決してくれることもあります。思い通りに解決する方がむしろ圧倒的に少ないのが事実かもしれません。
■「手考足思」
この言葉は、陶芸家の言葉です。
瞑想して作品の想を作るのではなく、足でろくろを回し、手で粘土をこねているうちに、想が形を成していきます。
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私がメンタルダウンした原因は、頭の中で解決しない悩みをこねくり回し、何も問題はまだ起こってもいないのに、考え過ぎてしまったことです。
しかし、今は違います。生きる為に行動に移す。
私は生きる為に、家族の為に何ができるかを手と足を使う。
今の私は不健康になり、身体も不自由で杖を付いて歩いています。だから何でしょうか?
人は全員生きていれば、何かしらの病にかかるし、老いて死んでいきます。これはつまり、普通のことです。
普通のことなのに、病気になるともう人生終わりだと絶望してしまう。いいえ、そんなことはないと思います。
不健康でも、楽しく生きることはできる筈です。
今自分にできることを精一杯やる。人生なんてものは単純にその繰り返しです。それ以上でも以下でもねぇです。
ということで、サウナでととのえよう!
また読んでくれたら嬉しいです(*^^*)
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