あかね噺考察「阿良川流」について
あかね噺における「阿良川流」は七代目立川談志(生前は当人は五代目を自称)が興した「落語立川流」がモデルではないかと言われています。わざわざ「流」を付けていますしこれは間違いないところでしょう。
しかし落語立川流は真打ち昇進問題で揉めて落語協会という組織から離脱する形で独立し以後寄席の定席には出演できなくなります。ここはあかね噺では落語連盟に残ってる阿良川流とはやや違いがあります。まぁ阿良川流は独自基準で二つ目・真打ちを昇進させてるようで後々現実のように揉めるのかも知れませんし、揉めた後に黙認される形になってるのかも知れません。
話が逸れました。まずは阿良川流の一生と四天王について。
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ここ自分も勘違いしてたんですが、まずトップに一生がいてその下に四天王、という構成なんですね。阿良川流の真打ち名前ありキャラが一生・志ぐま・全生・一剣だけだったのでこの四人で四天王なのかと。それではあと一人は誰なのか。
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おそらく序列として上から志ぐま・全生・一剣・謎の人の順番でしょう。
このうち全生と一剣はそれぞれ一生の「生」と「一」が名前に入ってますし一生の弟子っぽい雰囲気があります。謎の人は別の師匠の弟子の可能性もあります。そこでナンバー2の志ぐまなんですが名跡継承で袂を分かった云々言われてますから同じ師匠に入門した兄弟弟子であった可能性もあります。こうなると志ぐまだけ立ち位置で微妙に違いますね。
ここから妄想に近い仮説なのですが、「阿良川流を興したのは一生ではなく先代の志ぐまなのでは?」説を上げてみます。先代志ぐまは名跡を当代志ぐまに継がせ、阿良川流のトップは一生に継がせた。それが原因で二人の関係が拗れたのでは?ということです。
まぁなんでそんなめんどくさいことを?と言われれば反論もできませんが未だにしっくり来ていない志ん太破門事件で志ぐまの弟子まで破門できた件も合わせて阿良川流の内部規定みたいなものがあるのかもしれません。先代が興した阿良川流だから名前を継いだ自分がゴネたり抜けたりするわけにはいかない、という思いがあるのかもしれません。「かもしれない」だらけですがこれは妄想に近い仮説なのでそれはそれでいいのです。
次回は落語連盟の組織と幹部について。