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音楽を聴くことから学んだことあ

俺と音楽について書く

小〜中学校のころはテレビから流れてくる音楽を
聴いていた。

高校に入ってから、授業中も延々と音楽を聴いて
過ごしていた。

当時はヒップホップとR&Bが流行っていたので、
CDプレイヤーやMD、ipodなんかでよく聴いた。

それまで日本のオリコンチャートの音楽やcmの音楽や
しか聞いていなかった俺も。

暇すぎて暇すぎて。ゴリゴリと、ゴリゴリと
わからないの壁を目の前にしながら、とりあえず
聴きまくっていた。


当時お金がなかったので、毎日BOOKOFFで中古のCDを
探しまた。なので、行きつけのBOOKOFFの中古の棚は
片っ端から見て覚えてしまうほどだった。

一枚250円でCD買っては片っ端から聴きまくっていた。

そんな中で気付いたことを書く。

高級なワインや寿司、有名パティシエがつくる
ショコラ。

旨いものを素直に旨いと感じられるのかと同じことで。

音楽にも名盤と言われる時代やジャンルを代表する
音楽があり、これらが初見(見じゃなくて聴か?)で
良いと感じれることが少なかったこと。

これ本当によくあったと思う。

当時はYou Tubeやspotifyがなく、月1の雑誌やYahoo
掲示板の書き込みで勉強して、CDSHOPで視聴できれば
ラッキー。できなきゃ、えいやで買うしかなかった。

illmaticとかbreaking atmosとかwhats going onとか
楽しみにしていた。
あとヒップホップではないけど、lovelessとか、
definitary maybeもまあ、ピンとこなくこなくて。
数えれば切りがない。

でも、当時は高校で暇だったから、
CD買っちまってるから、

何度も何度も(仕方なく?)聴きまくっていた。
聴かないと勿体無いというのが大きい、、、、

まずそれらの音楽について当時はどうあれいま
どう思っているのかというと、

結構好きなんだけど、完全に馴染んでいるか
というと染み込みはしていないという感じ。

細胞に跡が残っているような。実態はなく影だけが
転写されてのこったような。原爆の熱で影になって
しまったような。そんな感覚。

その後、不思議なもので、同系列の曲を聞くと、
すんなり受け入れられたりする。耳が作られている
レベルアップした?

一方で、実はすぐに身体に馴染む曲もあって、
cronic、doggystyle、neptunesの楽曲やnewjacnjswing
なんかは直ぐに馴染んだ。


この話の教訓はいくつがあるけど、

一つは
俺は体育会系的な思考を音楽を持って実感して理解した
ということ。

ピンとこない音楽も何度も聴いているうちに自然と
体に馴染んでいる瞬間が来る。それはいつ来るか
わからないので、身体が感じ取れるまで待つ
ということ。ある意味、矯正か。

そして、もう一つの教訓は、
自分のルーツが必ずどこかにあって、それは自分が
自然と心地良いと感じることがヒントになっている
ことが多いということ。

voodooは最初感じることが出来なかった。でも
いまや細胞に、DNAにその端切れが入っている

俺のルーツはおそらくディスコミュージックやソウル、
ファンク系統。母が昔々ディスコに行っていたからかも
しれない。もしくは胎教で聞かされていたのかも
しれない。

至る所に自分を知るヒントが隠されていて、
うんざりすることもあるけど、自分を知らないと
いつまでも幸せにはなれないのかもしれない。
とかね。

最後に最も重要な教訓がある。
それは一定量でクソなもの(音楽)は必ずあるという
こと。いくら聞いても駄目なものは駄目ということ。

諦めと忍耐の天秤


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