嫌な奴ポイント減法
今日はドライブで人と話した。突破口!とはいかないけれど、凄く面白い考えを貰った。紹介したい。
僕は最近、凄く自分がカッコ悪くて嫌いだ。何より嫌な奴な気がして、靄がかかっている。
目に見えない親切に気がつける人でありたい。そう思って生きてきたつもり。気がつけるということは、目に見えない親切をたくさん出来るというつもりでいた。親切をすることが良い事だと信じているつもりで、他人のことまで首を突っ込み、自分がいっぱいになるまで、限界になるまで溜め込んでから、追い込みをかけてしまう。
もちろん、染み込んだ優しさや気遣いがある。でも、確実に何となく「親切にしなきゃ」でしている行動がある。何となく、僕はそれをひたむきだと思っているらしい。例えば、仕事がお休みの人の分までやる!とか、困っている人がいるなら助けなきゃいけない!とか。
更に、そのガバガバに信じきったひたむきが出来ない自分や「ありがとう」が自分と同じ等級で帰ってこないと不満に思う。「ケチな人だなぁ」と思ってしまうのだ。
でも、話し相手は「自分がどうこうできる所と出来ない所がある。もしその親切が自分にとっての不快な気持ちを産んでいるなら、もっと自分の時間を考えるべき。これくらいなら、と片付けられるならやっても良いけど。行動と気持ちの分だけ損だよ。自分が「ありがとう」を言えればいいし、親切にしたいならいいんだよ。でも、それと同じくらい自分の時間とか大切さをきちんと伝えないといけない。言うことは勇気が要るけどね。」と言っていた。
強いなぁと思った。自分勝手が苦手な僕にとって、自分を第1に考えることが本当に悪いことのように思うからだ。誰かの都合に合わせて、都合よく生きる方が簡単だからだ。「いいよ。」と認めればみんなが喜ぶ。自分のことを好きになる。そう思っている認知が歪んでいるんだろう。
今日出会った考えは「自分を大切にしなさい!」とかざっくりした話じゃなくて、親切と自分の快さの共存を目指す具体例だったと感じている。
自分を嫌な奴と思う機会を減らすこと、嫌な奴になる可能性を低くすることは存外簡単かもしれない。嫌な奴ポイント、引き算キャンペーン。大々的に開催しまくりたい。自分の好きな親切をしたいな。一生懸命張り詰めた親切じゃなくて、自分に優しくして相手も助かるような親切をしたいな。