まめまめづくし
たからものにしたい 感性を つめます。
こころを少しレスキューする部隊。一度、立ち止まってよい時間の詰め合わせです。
本気のプレゼン。お試しあれ。
とにかく色んな表現を詰めました。羅列です。
見た夢の残りを書きます。綺麗な話も、くすくす話も。
文が思いつかない。だから、写真を載せようと思ったのに、写真がない。どうしよう。 そういえば、最近のネガフィルムは色つきだった。昔、父のネガフィルムをキャプチャする作業を永遠としていた。冬の寒い和室で、ネガフィルムを丁寧にセットして、ずれのないようにキャプチャする。たったそれだけの作業なのだが、たまらなく楽しかった気がする。無心でできるいい作業だ。 無いものを探すのは、この対極に位置するきがする。気を張る必要は無いが、頭をぐるぐると回転させて奥底のホコリを持ってくるみたいな
今日はエプロンを身に着けて、家事をしたりお料理をしたりした。お手伝い無しで、出来るなんてまあまあ持ち直しているんだろうなと思う。 少し前に、エプロンを買った。緑色のエプロン。くすんだ黄緑みたいな色で、優しい色だ。初めは水色がいいとか、しましまがいいとか思っていたが、なんやかんや緑に落ち着いてしまった。 結ばずに被るだけでいいので、気に入っている。気圧のせいか、気温差のせいか分からないけれど、頭が割れるほど痛い日でも楽に着られる。 部屋の中が妙に感想しているのか、肌は粉を
1点の苦しみが、シャツのシミみたいに苦しさを伝えてくる。 シミが少しでも、許せなくて、苦しくなる。
泣くのをやめられなくて苦しい。気にしなくていいことを気にしながら、ちまちまと嫌なことを思い出すのが苦しい。 ねちねち思い出したって、なんの解決にもならないし、何にも前には進まない。どうしてこんなに恨んでいるのだろう。 お願いだから、僕の頭の世界から居なくなってくれないだろうか。そんなふうに祈りながら、でも変えられない今の自分を殴りたい気持ちでいっぱいだ。 許したいのだけれど、許せない。それは一体どうしてなんだろう。約束なんてしなきゃよかったのになぁ。 死んでくれ、お願
この前、自分のお葬式にかける為のプレイリストを制作した。死ぬから、ではなくて、親友が「お葬式にかける曲、集めてるんだ。」と言っていたので、真似してみたまでだ。この曲を入れた。 久しぶりに覗いたCDのジャケット写真。高校生の頃、バイトも出来ず、ちびちび貯めたお小遣いでディスクユニオン巡りをした。巡っては、好きなバンドのアルバムを買い集めた。何を持っていないかなんて、分からなかったけど、初めて見るものは全て買ってきた。 その中の1つ。Base Ball Bearのインディーズ
本日の死因:気温差。といってもいいくらい、身体が重すぎる。鼻が詰まりすぎる。 鼻が詰まったせいで、また耳が聞こえにくい。耳管を圧迫しているのかもしれない。耳が痛いし、耳鳴りも酷い。難聴と合わさっているのかも。 気温差が激しいのは苦手だ。思っているよりも身体がついて行かないし、体の芯が冷えているのだ。温かいものがあれば、大抵大丈夫なのだけれど、難しいときはどうすればいいんだろう。 意を決して、土鍋で湯を沸かしてみた。熱湯ができて、舌を火傷した。変な体験。
私は、どこの誰だっけ? 名前も顔もあるのに、自分が何者であるか分からなくなってしまった。漫然と過ごせる気がしているの、いつもみたいに。でも、できないの。 自己がバラバラになって、自分の好きな物とかほしいものとか無くなってしまっている。人と会う時にテンションを上げて欲しがったり、ネットサーフィンをしてかつての自分が好きそうなものを購入したりする。 人からみると、私らしくないものみたい。どうしても突っかかる。持っている自己像と社会的な自己像の食い違いが起きている。 衝動的
「あんちょこ」という言葉は知っているだろうか? あんちょことは、虎の巻のことを意味するらしい。初めて聞いた。語感があんまり、親しみがない。へんなの。
今朝はよく眠って、定刻に目覚めた。散歩と細かな作業の甲斐あって、朝ごはんとお支度をのんびり行うことが出来た。 綺麗でいたくて、丁寧にお化粧をした。車を走らせて、お稽古に間に合うように努めた。今日は上手くいく、そう思いながら、「もっと寝っ転がってたいな。」とか「時間を気にせずのんびりしたいな。」という欲求を抑えていた。 今日はお祭りの日だったようだ。人が異常に多く、いつもの駐車場は満車だった。ころころと動く人や車の前をわざと横切る人に気を遣いながら、空いている駐車場を探すけ
今日は、大きな彗星が街にやってくる日だ。地球最後の日になるかもしれないって街の老人が言っていた。それを信じた人たちのお祭りが行われている。街は騒がしくも、一生懸命な灯をともしていた。 僕は、そんな祭りを鼻で笑っていた。最期をどう過ごすかよりも大きな彗星をこの目で見てみたかったからだ。ホコリが被っていた天体望遠鏡をピカピカに磨いた。 「もうじき、いいものがみられるからな。」 優しく息を吹きかけながら、とんでもなく綺麗にした。手入れに慣れはあっても手抜きはしないほうがいい、
みなさんは、びっくりドンキーに行ったことはあるだろうか? びっくりドンキーの店員さんは、とても優しい言葉遣いをするのだ。例えば、ご案内する場面。「では、こちらの明るいお席はいかがでしょうか?」と1人でも丁寧に接客して下さる。 他にもお冷を気遣ってくれたり、食べ終わるタイミングを見てくれたり、とんでもない量の白米を口に運んだってやさしく見守ってくださる。 今回はガリバーの体験をしよう!のフェスティバル中で、ハンバーグがめっちゃビックになったり、ポテトがババーんと増えたりし
この世の中、広いようでいて狭い。SNSが台頭してきたおかげで、広くに出られると思ったら、狭い世界は変わらなかったりもする。 自ら狭める選択肢をとることも可能になったことで、苦しい気がする。狭いなら狭くいてもよいのに、広くないと馬鹿な扱いをされる。 空っぽの僕と似ていて、そこがとても難しい。
大好きな絵本作家である、せなけいこさんの訃報を知った。最初は戸惑って、それから泣いた。しばらくぼーっとしてから、作品は色褪せずにまだまだこれから色んな人に愛されるんだと思った。なんて、すてきなんだろう。 せなけいこさんといえば、数々の名作がある。中でも『おばけのてんぷら』は子どもの心を掴む一作だ。 ストーリー展開はもちろんのこと、うさこちゃんが滑稽で楽しい。てんぷらが放つ魅力もぐっと詰まっていて、他の料理ではなかなか出せないような風合いだと感じる。おばけフライより、てんぷ
もう、関係ないはずのものに執着してしまうのは、とても惨めでみっともない。 「幸せになってね。」という言葉が嫌いだ。 この世で最も嫌いな言葉になった。月並みな表現だからではない。無責任な言葉が嫌いだ。 僕は言葉を上手く遣えない。言ったことは何となく約束になってしまっていそうで、やらねばならない気がしている。 他人の幸せを願っておきながら、自分は蚊帳の外にいるという言葉に見えるのが苦しい。誰かが別れの言葉には、ぴったりだと言った。無責任になれるから、最後にかけることができる
1人になって、自分の輪郭が分からなくなる。 それとなく、明日のための食料を買う。カゴに入れるのが大変だ。 今日はバッチリだ。綺麗な肌で素敵な見た目をしている。わかってる、きっと、上手くいかないんじゃないかって。 間違いなんだって。 わかってる。1人になってる。大丈夫だと思う。 素敵な日々だ。穏やかで寂しい。 レースカーテンから見える電線が変わらず、どんよりとする空が広がる。
寝相が悪すぎる。最近良くなったと思っていたけれど、気のせいみたいだ。 1度、目が覚めたら、ベットからずり落ちていた。 2度、目が覚めたら、歩いていて玄関だった。 3度、目が覚めたら、空気清浄機の前にいた。 4度、目が覚めたら、仕事用のリュックを抱えていた。 寒くて目が覚めたら、布団に戻ろうと歩いて突っ伏した。 眠りながらトイレとかお風呂も済ませてくれたら、心理的には楽なのに…と思った。 夢遊病みたいだけれど、断片的に記憶が残っている症状。へんなの。 朝起きたら