物より思い出を:身内の生前整理から考えたこと
こんにちは、まめこです。今日は、認知症になった叔母の荷物整理から考えた、シンプルな暮らしの豊かさについて書いてみたいと思います。
届いた段ボールの山に途方に暮れる
先日、叔父から大量の段ボールが届きました。認知症で介護施設に入所した叔母の荷物の整理をした際に出てきた、両親(わたしの祖父母)との思い出の品や、家族写真、なんとわたしの学生時代の作文や手紙まで、家族に関わる品々を送ってくれたのです。
子どものいない叔母は、両親との絆が深く、祖父母のありとあらゆる思い出の品を大切に保管していました。また姪であるわたしのこともとても可愛がってくれましたので、わたしの昔の写真や手紙まで大事に取ってあったようです。。
叔母は家にいるのが好きな人で、派手な暮らしはしていませんでした。それでも人生の節目の年には宝石を買ったりしていたのですが、記憶が薄れてきた頃には「あのネックレスがない」「あのリングがない」と探し回る日々でした。
叔母の姉である高齢の母は、送られてきた段ボールの山を前に途方に暮れていました。これらの荷物を整理する体力も気力もなく、わたしに、「全部捨てて」と疲れた様子で言いました。そうは言われても、大事なものが含まれているかもしれないと思い、数日かけて一つ一つ開封し、仕分けをすることにしました。
50代のわたしにとっても、この整理作業はそれなりの負担となりました。このとき思ったのは、大がかりな片付けや引っ越しは、体力の残っている50-60代までにしておくべきではないかということ。親の介護が本格的に始まってからでは、片付けに使う時間も体の確保できないかもしれないと感じたのです。
「持つ」から「持たない」への気づき
この整理作業をしながら、「物を減らすことは、心の余白を生み出すこと」というある禅僧の言葉を思い出していました。
「必要なものを持つ」のではなく「不要なものを持たない」という視点です。一見同じように思えるこの二つの考え方は、実は大きく異なるのではかと思います。
「必要なものを持つ」という発想は、際限なく物が増えていく可能性があります。せっかく断捨離しても、気づけば物が増えていたということは、わたしにも心当たりがあります。「これも必要かも」「これがあると便利だな」と考えていくと、気がつけばまた物が増えた生活になっているものです。
一方、「不要なものを持たない」という考え方は、自分にとって本当に大切なものは何かを見極めることから始まります。それ以外のものを手放すことで、不思議と心にも余白が生まれます。
暮らしの本質を考える
この経験は、わたしに暮らしの本質について考えさせるきっかけとなりました。稲垣えみ子さんも著書『家事か地獄か』で、同じような気づきを語っています。
お母様の晩年、豊かな暮らしのためにあった膨大な食器や服、便利なはずのグッズや家電が、いろんなことができなくなったとき、かえって重荷になっていく様子を目の当たりにしたと。
稲垣さんは持ち物を極限まで減らし、かなり徹底されているので、わたしには同じことはできませんが、考え方はとても参考になりました。
では、本当の豊かさとは何なのでしょうか。そんなとき、勝間和代さんの言葉が心に響きました。「日々の生活をちゃんと送ることが、人生の本当の目的」という指摘です。自分でご飯を作って食べる、よく寝る、部屋をきれいに片付ける。そうした何気ない日常を丁寧に生きることにこそ、豊かさがあるのではないかと。
手放すことから始まる豊かさ
今、わたしが意識しているのは、手放すことから始める暮らしです。不要なものを手放すことで生まれた時間とお金は、大切な人と過ごす時間や、心を豊かにする経験に使いたいと思っています。
物は最後には誰かの負担になってしまいますが、経験や思い出は誰の重荷にもならない——それは叔母の後片付けから学んだ、大切な気づきでした。まだまだ試行錯誤は続きますが、これからも少しずつ、身軽な暮らしを目指していきたいと思います。
わたしの経験が、ほんの少しでも、身軽に、自分らしく生きていくお役に立てば嬉しいなと思って書きました。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日も良い一日でありますように🙏