「目のみえない世界」
私はいつも電気を点けずに作業をしたり、料理をしたりする癖があります。小さなころからずっとそうです。
私は平気なのですが、夫が帰宅すると「おっ。」と軽く声を出し暗闇の中の私をみて電気を点けます。俺はフクロウと結婚したのか、と密かに思っているのかもしれません。
目の見えない世界ってどんな世界だろう、といつも思っています。しかし、いくら暗くしても、盲目の世界とはほど遠いということはわかっています。盲目の世界は想像しか出来なくて、実感は出来なかったのです。
一部の感覚を失うことについて、考えたり、本を読んだりして今まできています。アクアビクスのインストラクターをしていた時に、耳の聞こえない子どもにアクアビクスをリードするという仕事を受けたことがあります。耳が聞こえないのに、音楽にあわせて踊るアクアビクスか…と当時は思いましたが、聾学校の先生が
ウナギをご馳走してくれるというので挑戦してみました。
うん、問題ない。耳が聞こえる人は、音楽を聴いてからそれに合わせるのだけれど、聞こえない人は自分の頭のカウントで動いているイメージです。耳が聞こえないのに「カウント」が出来るのかは定かではありません。しかし、リズムに乗っているのです。
やはり仕組みがわかりませんでしたが、
鰻は美味しかったです。
私たちの感覚にはヒエラルキーがあります(対等ではなく優劣がある)。例えば情報の部分でいえば、王に君臨するのは視覚です。目からの情報は大変なものであり、その分、脳の働きも多いのです。
私はコンディショニングの1つの方法として“目を閉じる”ということを推奨しています。目の疲れがとれるだけでなく、脳にも余裕を持たせてあげるのです。
目が見える人だと、常に余分な情報が脳の中があふれています。目が見えない人は、情報が少ないので、少ない情報と情報をつなぎ合わせて自分の中での情報としていきます。
気温や風、足の着地面や傾き…私たちが普段、感じていないようなことを意識して組み合わせて情報としていくのです。
この何か月間は、「目の見えない世界」それを解明しようと色々な資料を読み漁りましたが、入口だけわかったような気がします。
そして、確実にわかったこと。
昨今は、知りたくない情報も否応なしに脳には入ってくる
…人生折り返し、もう少し、脳にスペースを作って新しい自分に進化したいなと思います。
トランスフォーマーみき。
「見えない」ことは、欠落ではなく脳の内部に新しい扉が開かれること。(福岡伸一)
ああ、なるほどな。なんだか、人生を少し変えるいい勉強をしました。
あんた、余分なものを見過ぎて、余分な事を言いすぎていませんか、って話し。