FIVE NEW OLDの勢いがどんどん加速している!! そう感じ始めたのは、昨年後半頃からだろうか ------------------------------------------ ★FIVE NEW OLDとは?★ 説明よりもまずは一曲 ↓ ↓ ------------------------------------- CMタイアップ曲が次々に発表され、 ボーカルHIROSHI氏のドラマ出演、主題歌担当 急な展開に驚いたファンは私だけではないと思う
書こうとしても、何も浮かばない。 それは時々起こってしまうことで、 今に始まったことじゃない。 私の場合、原因ははっきり2つに分かれる。 ひとつは、「書くべきテーマを深く理解していない」 これは仕事をする上であってはならないことだから もう一度、自分の中に落とし込む作業が必要。 もうひとつは、「自分の中になにもない」 今は、こっち。 よく、インプットとアウトプットという言葉を聞くが、 日常の中ではあまり意識してこなかった。 でも、今年に入って、家事・仕事・家族のこと
最近、「頑張って」という言葉について 考えることが多くなっていた。 誰かに「頑張って」という言葉をかけていいのか。 誰かに「私、頑張ります」と言うのはふさわしい言葉遣いなのか。 歳をとり、体力も気力も落ちてきた母は 最近私の顔を見る度に弱音を吐く。 「しんどいことばかり」 「長生きしてもいいことなんて何もない」 私はそんな母が歯がゆくて、 「大きな病気もしないで自立してるんだからいいじゃない」 「そんなこと言わず、一緒にがんばろう」 という言葉をかけた。 すると母が言った
人は、挫折を経験した方がいい。 そこから何かを学び、成長し、 自分の今を知ることができるから。 そして、優しさを身につけられるから。 そう思っていたし、今も変わらない。 でも、15歳の挫折は、早すぎる気がする。 できれば、笑顔でいてほしかった。 自信に満ちた顔で、新しい世界に飛び込んでほしかった。 声を押し殺して泣いて、泣いて、 目を腫らした姿をみているだけの私に 何ができるのか。 ただ、無力さを感じるだけ。 夜になり、 彼女に元気をくれたのは、友達だった。
24年前の1月17日、まだ暗い早朝。 私は生後6か月の娘と眠っていた。 前日は夫の親友の結婚式。 午前様は決まっていたから、私は前日から大阪の実家に泊まっていた。 ドン! 何か大きなものが落ちたような音と地響きで目が覚めた。 一瞬の静寂、そして、すべてのものが揺れはじめた。 訳も分からず、とにかく「娘を守らなくては」という本能のみで ちいさな体の上に覆い被さった。 揺れは、私たちを縦に揺らしていた。 娘は小さく「ふぇぇ」と声を出して、目を見開いていた。 「だいじょうぶ、だ
いま、胸に抱いている 悲しい想い、嫌な想い、 全部、風にのせて飛ばしてしまいたい。 でも、風に運ばれて、 誰かがまた私と同じように、 悲しんだり、嫌な想いをするのはダメだ。 風に拡散されて、散り散りになったとしても 欠片になっても、残ってしまうのは、やっぱりダメだ。 何より、飛ばしてしまった私には また、新たな負の感情が生まれてしまう。 結局、じっと自分の中に抱きながら、 時間をかけて、ゆっくりゆっくり 消化していくしかない。 ゆっくりゆっくり、時が経つにつれて 違
最近、ここ「note」が賑やかになっているようだ。 華やかに、ともいうのか。 著名な方々が、なんと私と同じように「note」を 書いていらっしゃるらしい。 同じように、この真っ白な画面に、 ちょっと大きすぎるんじゃないの?といつも戸惑ってしまう タイトルのフォントや、 ちょっと気をつけないと大きく空いてしまう改行や、 書き終わった後の安堵と不安、 (これは私だけなのかも) さて、画像はどうしよう?なんて考えるのも、 同じように作業されているのかなあ。 でも、やはり「世界」が
2018年の年末から2019年の年始にかけて、 いつもにも増して、意識してパソコンを開けないようにしていた。 もちろん、時々は開けてメールのチェックをしたり、 パソコンを開けなくてもスマホで見てしまったりはしたけれど。 普段は朝の8時からの夕方の5時まで、パソコンは開けっぱなし、 仕事が一段落して離席しても、コーヒーを淹れたら いつの間にかまた席に戻っているし、 洗濯機が終わるのを待つ少しの間、 お昼を温めるレンジが♪チン♪と鳴るまでの間、 ついパソコンの画面をチェックして
何のために、何をnoteを書くのか。 迷走して書けなくなっていました。 もうやめようかな、と思っていた矢先、 心に浮かぶ「思い」を書き留めておきたい、と思うものができました。 誰のためでもない、自分のために。 とても私的な思いばかりですが、もしよろしければ、お付き合いください。
メンタルは、どちらかと言えば強いと思う。 ちょっと凹んでも、一晩寝たら切り替えられる。 物事の捉え方も、ポジティブな方だと思う。 そう思っていても、ネガティブな思いが蓄積すると さすがに落ち込む。 そして、それが家族がらみのことだったりすると、 逃げ場もなく、ますます落ち込んでしまうことがある。 反抗期の娘と口うるさい父親。 娘はもう「同じ空間にいるのも嫌」というくらい、 父親を嫌い、できるだけ遠ざけようとしている。 父親はそんな娘との関わり方に悩みながらも、 自分を妥協
教会で結婚式を挙げ、お父さんと腕を組んで バージンロードを歩いた経験がある女性のみなさん、 もしくは、娘と歩いたことがある男性のみなさん、 その時どんな会話を交わしたか、覚えていますか? おそらく、それまでほとんど腕を組んだこともなく、 それでなくても初めてのバージンロード、 しかも娘は嫁いでいく。 そんな究極のシチュエーションの中、 緊張して何も話さなかったとか、記憶にないとか、 そういうことも多いでしょう。 テレビドラマや映画などでは、よく 「お父さん、長い間お世話に
今日、ちょっとうれしかったこと。 「友だちに褒められた」 文字にすると、「はぁ?だから?」て言われそう・・・ 自分でも、なんだコレは?と思ってしまった・・・苦笑・・・ 起業してがんばっている友人を、時々だけどお手伝いしている。 といっても、サイトにアップする記事の手直しをしているだけ。 だけど、一応ライティング業に携わっていることが幸いして 友人とは違う視点で記事を見ることができているらしい。 ちょっとした言い回しを変えるだけ、ということもあるけど、 友人はいつも感謝し
夜が肌寒くなってきたので、お風呂を沸かすようになった。 夏場はシャワーだけだったから、何ヶ月ぶりの湯船。 じわーっと温かさが染みてくる。 お湯の温かさが染みるのと入れ替わるように 体中の疲れが抜けていくような気がする。 この心地よさは何物にも代え難い。 毎年、秋が訪れる頃に繰り返されるこの体験。 その時必ず思い出す物語がある。 子どもの頃に読んだ絵本に登場するのは 王様と身分の低い男。 前後の話はすっかり忘れてしまったが、 それまで体を洗うことしか知らなかった王様に 男が湯
子どもの頃から、好きな色は「みどり」 時々目移りしたり、かっこつけたくなって 「そらいろ」とか「すみれいろ」なんて言うこともあったけど、 やっぱり一番好きなのは「みどり」だった。 お弁当がおいしく見えるためには「赤・黄・緑」が 入っているのが原則、と母に聞いた。 それ以来、自分のお弁当も娘のお弁当も それだけは頑なに守って作っている。 お弁当に限らず、「みどり」が一色入っているだけで なんだか落ち着くのは私だけだろうか。 特にカラフルな色が強調される場面においては 必ず
半日の外出を終えて我が家にたどり着く。 車のドアを開けた瞬間、懐かしい香りに包まれた。 ああ、今年もキンモクセイの季節がやってきた! 朝夕のひやっとした空気、そしてキンモクセイの香り。 私は、このふたつが揃ったら「秋が来たなあ」と感じる。 だから、秋の訪れはいつも突然。 春はやっぱり桜。 でも、桜はいつも眺めているから、 つぼみが膨らんでくる頃から開花する日を予想する。 まさに、「指折り数えながら」春を待つのだ。 でも、秋はカウントダウンできない。 だって、キンモク
私が初めてライティングの仕事を依頼された頃、 ある人に言われた言葉。 「あなたの文章には、とても“あたたかみ”を感じる。 それを大切にしてね。」 これは、今も私の仕事のベースになっていると思う。 メルマガ、エッセイ、サイト記事、レポート・・・ 依頼される内容はさまざまあるけど、 書いているのは「私」という人間。 どんな文章を書いても、どこかに「私」は、いる。 それを意識しすぎるのは良くないけど、 無理して背伸びしたものを書いても、 きっといいものにはならないはず。 いまの